De La Soul / And The Anonymous Nobody

Jill Scottが先導する、らしくない荘厳なストリングスと生ドラムのビートで幕を開けるアルバムは、その後もオーケストラをフィーチャーしたスピリチュアル・ジャズ風のM5やM12、Queenみたいな大仰なハードロック調のM7等、生音を中心に進行し、極め付けはDamon Albarnを迎えたエキゾティックなギターポップのM16で締め括られる。

生音主体のサウンド・メイキングはKendrick Lamar「To Pimp A Butterfly」以降の新しいジャズ・ヒップホップとの共振と捉えられなくもないし、実際Usherを迎えたM9の叙情やアンビエンスは掛け値無しに素晴らしいが、今一つ手放しにポジティヴな印象を持てないのは、全体的に漂う何処か沈鬱なムードのせいだろうか。
それは「3 Feet High And Rising」を巡るクリアランスの問題を知っているが故の、無意識のバイアスが齎す印象かも知れないが、サンプリングが殆ど使用されていない事には、サンプリング・アートの金字塔である同作が
未だストリーミングも、況してやリイシューも出来ない状況への抗議の意味も込められているのではないだろうか。

全般的にこれがThe Rootsの新作であったならば、何の違和感も覚えなかったであろうサウンドで、逆説的に自分が意識下でDe La Soulに期待していたものが、白日の下に晒されるような気分にもなる。
最も受け入れ難いのは、全体的に多彩なゲスト・ヴォーカルを迎えた一方で、肝心の3人の存在感が希薄になってしまっている点で、それ故に迸るユーモアも感じられない。
M12に至っては最後の一瞬でしかラップが登場せず、件のDamon Albarnにしろ、David Byrneとのコラボレーションにしろ、どっちがゲストだか判然としないほど。

とは言えM3の洒脱さは「Copa (Cabanga)」を彷彿とさせるし、跳ねるベースラインが印象的なM14等は、ホーン・セクションを除けば「Stakes Is High」に収められていたとしても違和感は無い。
M15ではこれまでの作品で些か冗長にも感じられたDe La Soulらしいスキットに安心感さえ覚えしまうのは、我ながら現金で呆れるが、それでもやはりA Tribe Called Questが見事な復帰作にしてラストアルバムをリリースした年に、この余りに対照的なDe La Soulらしくなさはどうにも悲しい。