David Bowie / Black Star

あるアーティストの初めてまともに聴く新譜が遺作であるという経験は、振り返ってみると「In Utero」以来の事かも知れず、1993年と同様に間接的にではあれ、アーティスト自身の死が購入の動機となったのは否めないが、つい最近録音された作品であるにも関わらず、その声の持主がもうこの世に居ないという事実は、実に奇妙な感覚を齎す。
しかしながら全編を通じて一際存在感を放つテクニカルで力強いドラミングの躍動感は、遺作と聞いて思い浮かべるイメージとは程遠く、更にM2の終盤で聴こえる咆哮はとても死に際にあった人間のものとは思えない。
もしもこれが本当に自分の死期を悟った上で制作されたのだとしたら、何とスタイリッシュな死に様だろうか。

古いロック・リスナーからすれば今更言う事でもないのかも知れないが、殆ど初めて意識的に聴取するDavid Bowieのファルセットを駆使したテノールや勿体ぶった歌唱はScott Walkerに良く似ている。
クラシカルなオーケストレーションにエレクトロニクスとグラム・ロックが一体となったようなM1は、生ドラムよるダンサブルなビートこそ違えど、何処かBrian Eno「The Ship」に通じる感覚があり、それはつまり熟練したディレッタントだけが醸し出す事の出来るものであるだろう。

ニューウェイヴィなM7等は80's生まれの自分とってのDavid Bowieのイメージに近いものだが、喚起させるのは同世代のロック・レジェンド達の名前ばかりという訳ではない。
クラウトロック風の反復ビートがジャズの管楽器の狂騒を伴って疾走するM2はRadioheadを彷彿とさせるし、M4に於けるLed Zeppelin的なブルージーなハードロック風のギターリフと人力ドラムンベースの如きビートの混淆は、まるでThe Mars Voltaを聴いているよう(因みにこの曲と、続くM5でパーカッションを叩くのは何とJames Murphy)だ。
老成とハリやツヤが同居した声の調和が効果的なM3やM6等のミドル・テンポのナンバーでは、後期R.E.M.がフラッシュバックする瞬間もあり、オルタナティヴ・ロックの源流としてのその存在を実感するに充分なエクレクティシズムが漲っている。

反復が冗長になる一歩手前のところでフックとなるメロディを効果的に挟み込むソングライターとしての手腕も相当で、次作を心待ちに出来ないのは残念だが、もう少し若い頃であればすんなり受容出来たかは怪しいという意味で、もっと早く手を出しておけば良かったとまでは思わない。
Kurt Cobainの場合とは違って、これから遡れるクラシックが大量にあるのだから、これはこれで幸せな出会いだと言えるだろう。