Dirty Projectors / Dirty Projectors

M1の円熟味を帯びたDavid Longstrethの歌声、そこに彩りを加えるのは嘗てのAmber CoffmanとAngel Deradoorianの流麗なコーラスではなく、Tyondai Braxtonによる極端に変調された声で、恋人に去られた男の傍らに寄り添うのが近しい友人だったというのは何とも良い話ではないか。
アルバムを通じて要所要所でファニーなメロディを奏でる如何にもTyondai Braxtonらしい電子ノイズは本作に於けるその役割の大きさを窺わせるに充分だが、彼自身にとってもBattles「Mirrored」以降で最もその実験性をポップに昇華する事に成功した作品だとも言えるだろう。

ギター・オリエンテッドだったサウンドは一変し、ウォブリーな低音域やオートチューン等のエレクトロニックな要素とピアノやホーン、ストリングス等のジャジー室内楽的な音色の混淆によってモダンなR&Bとインディ・ロック/チェンバー・ポップのクロスオーバーが標榜されており、Solangeとの共作にDawn Richardが参加したM8を始めとして今最もエキサイティングなジャンルの交錯を象徴するような作品になっている。

とは言え豊潤なコーラス/ストリングス/ホーン・アレンジメントを始めとしてDavid Longstrethの作家性を支えてきた基軸は全くぶれてはいない。
M3の終盤で聴く事の出来るロウなギターのフィードバック・ノイズとポリリズミックなラテン・パーカッションの競演、ジュークのヴォーカル・チョップと3連譜を採り入れたようなM4の性急なビートとチェンバーなストリングスとの対比等、そのエクレクティシズムは洗練ばかりを追うようだった前作よりも余程「Bitte Orca」に近い。

元よりDavid Longstrethのプロダクションは楽器や歌をパーツとして扱うようなエディット感覚を有していたが、大仰なギターがモジュラー・シンセやホーンに置き替わり、コーラスに代わってオートチューンが代用されているのだと考えれば、その手法が大きく変わった訳ではないのは明白で、バンドという形態が故の制約が取っ払われたという意味でより自由度が増したのだと言う事も可能だろう。
2000年代のブルックリンを代表する才能の堂々たる帰還と呼ぶに相応しい作品だと思う。