Dirty Projectors / Lamp Lit Prose

フィンガー・ピッキングが奏でるアコースティック・ギターの無国籍な旋律と対照的なファズ ギターの爆発や女声コーラスといったDirty Projectorsを象徴するイディオムの復活はアルバム・ジャケットと同様に「Bitte Orca」への回帰を強く印象付ける。
更には童謡のようなM6やフォーキーなM9は「Swing Lo Magellan」も彷彿とさせるが、Angel DeradoorianとAmber Coffmanの穴を埋めるコーラスは至ってノーマルで、寧ろその不在が強調されるようでもある。

確かに自らパブリック・イメージをなぞるようだが、ビートのサブベースが前作のR&B路線の成果が捨象されていない事を告げてもいる。
菅弦楽器の存在感も引き続き顕著で、アップリフティングなブラスとポリリズミックなリズムによるラテン・テイストのM4にはJanelle Monae「Dirty Computer」にも通じるポップ感覚がある。
前作を特徴付けていたTyondai Braxtonのマニュピレーションによるユニークな音色は相対化されているが、M2の極端に変調され畝ったギターを始めとして寧ろ音色面のギミックがより自然と楽曲に溶け込み血肉化した結果のように思えるし、目立ちはしないが至るところに奇妙な装飾音が忍ばされてもいる。

M8は前作収録の「Little Bubble」に通じるディープ・ソウル調だが、メランコリックな同曲とは対照的にオプティミスティックなムードが漂っている。
M10は意外にこれまで余り無かったジャズの影響を感じさせる新機軸で、まるで昔のディズニー映画の伴奏のような雰囲気がある。
孤独で内省を感じさせた前作から一変、リラックスした開放的なムードがあり、David Longstrethの新しい門出を感じさせるという意味で前作は一種のセラピーだったのかも知れない。