Janelle Monáe / Dirty Computer

Brian Wilsonのとても76歳とは思えないファルセットがコーラスを添えるM1が、まるでシーンが切り替わるように唐突にフェードアウトする様は、如何にもJanelle Monáeの新しい物語の幕開けに相応しいシネマティックなオープニングだ。
架空の映画のサントラ宜しく幾つかの同じコード進行がモチーフとして繰り返し登場したり、前の曲のフレーズを次の曲が継承してシームレスに繋がっていく構成からは、本作が「Metropolis」シリーズに引き続き何かしらのストーリーテリングを導入している事が解る。

サウンド面では「The Archandroid」が60’s・70’sのソウル/ファンクを下敷にしていたのに対し、本作はシンセ主体のエレクトリックな80’sポップやディスコを採用して、これまでのフィメールOutkast的イメージからの逸脱も見せている。
ディスコティックなM3〜M5は宛らAbbaBlondieのようで、M8には生前本作に関わっていたというPrinceが深く影を落としている。
まるでHuey Lewisみたいな能天気な曲調のラストのM14は何ともアイロニックで、ともすれば誤解を与え兼ねないという意味で現在のアメリカで堂々と「I’m American」と歌えるその勇気に畏れ入る。

80’sレトロスペクティヴなのは確かに顕著な特徴だが、決してそれ一辺倒という訳ではなく、随所にトラップ風のハイハットアンビエントR&B的なシンセ等のモダンなプロダクションを聴く事が出来るし、トロピカルなムードのダンスホールのM9やブルージーなネオソウルのM11とスタイルには一定の幅がある。
M6では堂に入ったラップでナスティを気取ったり、M7では囁くような歌声で可憐さを垣間見せたかと思えば、M10では「Remonade」のBeyoncéに引けを取らない力強い歌唱を聴かせる等、一人何役も熟すような千両役者振りは流石で、その歌唱の器用さは相変わらず魅力的だ。
中でもM8後半のファンキーでエロティックなシャウトが齎す高揚感は半端なく、本作のハイライトの一つと言って差し支えない。

強烈なフックを持った曲が矢継ぎ早に繰り出される「The Archandroid」のジェットコースターのようなスリリングさと較べるとやや物足りなさは残るし、Whitney Houstonばりに高らかに歌い上げるM13のバラード等は少々蛇足かとも思うものの、確かに完成度の高いポップ・アルバムである事は間違いない。