Mount Kimbie / Love What Survives

如何にもMount Kimbieらしい柔らかくくぐもったアナログ風の質感の揺らぎのあるシンセ・フレーズに、2ステップでもイーヴン・キックでもなく、生ドラムの8ビートが被さり、更にはギターのフィードバック・ノイズとロウなベースの音色が合流するM1は、その意外性に於いて完璧なオープニングだ。
楽器音/演奏の導入という面では前作にもポストロック的な要素はあったが、本作では更にクラウトロックやポストパンク/ニューウェーヴ的な要素が大胆に導入されている。

M3やM10は比較的前作のムードを継承しているが、演奏はぐっとラフになり、それどころか寧ろローファイと言っても良いくらいの感覚がある。
それはKing Kruleの近作にも通じるもので、まさか恐らく一回り近くも年下であろう彼の影響があるのだろうか。
M2にはそのKing Kruleによるパンキッシュでトラッシーなラップ/ヴォーカル/シャウトがフィーチャーされているが、これがまた従来のMount Kimbieの洗練されたイメージとは似つかわしくなく思わず嬉しくなってしまう。

M7では名曲「Mayor」を彷彿とさせるシーケンスに期待を煽られるが、最後までビートは登場せず幾分肩透かしを喰らう。
M1やM5にしてもダンスフロア的な狂騒が訪れる前にトラックは終わり、ある種のアンチ・クライマックスで禁欲的な印象があるが、下手なサービス精神は無く振り切れたという点で、何処か中庸な感じもあった前作よりも余程インパクトがある。
更にはMicachuが歌い管楽器が彩るストレンジ・ポップのM4、反復にプレーンな女声ヴォーカルがStereolabを彷彿とさせるM6、James Blakeが歌うラウンジ風の2曲とスタイルも幅広い。

電子音主体の上音や装飾音は大幅に変える事なく、楽器演奏中心の直線的なリズムの導入によって、従来のエレクトロニック・ダンス・ミュージックに於けるマテリアル毎の役割分担の転覆が図られているとも言え、単純なアイデアではあるが確かに新しい感覚もある。
エレクトロニック・ミュージックの側からのバンド・サウンドへのアプローチとしてはありそうで無かった感覚で、具体的に何処が似ているという訳ではないのだが、アルバム全体の何と呼んだら良いのか判らない感じがThundercat「Drunk」に通じなくもない。
要するにこのを感覚をフュージョンと呼ぶのかも知れない。