Fucked Up / Dose Your Dreams

f:id:mr870k:20190318012820j:plain

M1のハードコア・パンクとサックスの組み合わせからは、大嫌いだったKemuriなんかが頭を掠めるが、年を取ったからなのか死に体のパンク・ミュージックに対する愛着故なのか、嫌悪感は無く寧ろ思わず頬が緩んでしまう。
M7の正統派ハードコアも好みだし、サックス入りだがオリジナル・パンクのようにストレートなDisc2-M1も全く嫌いじゃない。
物凄くポジティブ・パンクな曲調に「I Don't Wanna Live In This World Anymore」とか、Disc2-M3ではBeach Houseと見紛う程のシューゲイズ/ドリーム・ポップ風に「How To Die Happy」とか、タイトルにもユーモアが効いている。

ハードコアのクリシェをなぞるような絶叫系のヴォーカルとプレーンな女性コーラス或いはピアノやストリングスといったクラシカルな器楽音の対比が象徴するように、良くも悪くもジェンダーの形態も含めて現代のパンク/ハードコアの在り方を模索している稀有なバンドであるのは間違いない。
ポスト・ハードコア(特にエモ)にもチェロやバイオリンを取り込んだバンド(例えばCursiveNaht)は少なくなかったが、まるでポスト・ハードコア等パンク史に無かったかのような有り様も興味深い。

しかし一方でM1冒頭の冗長なイントロやM2のシンセ・シーケンスは蛇足としか思えないし、Death GripsみたいなDisc2-M6は未だ受け入れ易いが、M6等の打ち込みビートの導入は00年代のロック化していったUnkleみたいに大仰で、ハウスのビートとヒプノティックなヴォーカルの組合せが(イメージだが )Ian BrownみたいなM8に至っては些か関心しない。

パンクの歴史を背負いながらも、在り来たりなクリシェから遠ざかる為には何だって採り入れると言わんばかりの強烈な意思が感じられる音楽で、それはそれで頼もしくもあるが、清々しいDisc2-M8等の確かに新奇さは皆無であってもタイムレスな魅力に触れると、このご時世にハードコアを選ぶ事自体が既に余りノーマルな行為ではないのだから、もっとストレートでも良いのではないかと思ったりする。