Kids See Ghosts / Kids See Ghosts

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2018年のKanye West関連作 - Pusha T「Daytona」と自身の「Ye」そして本作 - はどれも収録時間が30分未満とごく短く、Kanye Westが何らかのコンセプトの下でそのようなアルバムを連発している事は疑いようがない。
全て7曲で3作合わせて漸くCD1枚分という事実を考えると、合わせて1つの作品として完成するのではといった妄想を掻き立てられもするが、サンプル・ベースのプロダクションに回帰して高評価を得た「Daytona」とは対照的に、本作の佇まいはDanny Brown並みとまでは言わないものの、何処かよりオルタナ・ヒップホップ然としている。

ステイタスを確立した2人のソロ・ラッパーのコラボレーションの割にラップは実に散発的で、作品にとっての必要不可欠な要素という感じすらしない。
何よりヴァースとコーラスの区別は最早崩壊しており、Kanye Westに関して今更ではあるが、反復を基調としたヒップホップのフォーミュラを完全に逸脱している。

決してビートが弱い訳ではないが、M1における打撃音の連打や鼓笛隊のマーチのようなM2、M6のウッドブロックやタム使い等、典型的なヒップホップのビートからは何処か乖離した印象を受ける。
M3-4は比較的普通のヒップホップのビートの範疇だが、それにしても間断が多く途切れ途切れで、Pusha T「Daytona」同様に当然トラップの要素はほぼ見当たらない。
浮遊感のあるサウンドクラウドラップ的にも感じられるが、印象はチルと言うよりダウナーで、如何にもメンタルヘルス問題で繋がった(かどうかは知らないが)2人らしい。

M7ではKurt Cobainが伝記映画の中で爪弾いたものというアコースティック・ギターがループされており、2人が鬱についてラップしているというのもしっくり来る
(Kid Cudiがそれでも「希望を感じられるアルバム」だと評していて、確かに絶望的な感じはないものの今一つピンとは来ない)。
Earl Sweatshirt然り、デプレッションが昨今のアメリカン・ヒップホップのリリック上の重要なテーマの一つになっているのは間違いなく、要するにそれがエモラップ(しかし名前が悪い)の流れという事なのだろう。