Tyler, The Creator / Igor

f:id:mr870k:20191007004124j:plain

ウォブリーなシンセに続いて耳に飛び込むヴォーカル・チョップ混じりのファットなブレイクビーツはまるでDJ Shadowのようで90’s育ちには堪らない。
M2のスネア等には未だトラップっぽさの残滓が聴き取れるものの、生ドラムのビートへの揺り戻しはLittle Simz「Grey Area」とも共通する傾向で、トラップへの反動を燃料 にしてブレイクビーツに新しい価値が宿り初めているように思えてならない。

とは言えポップ路線は引き続きで、全体的にメロウな中にもM6のような邪悪な感じを挟み込むところ(そう言えばこのトラックの倍音や歪んだ上昇するシンセはちょっとEl-Pを彷彿とさせる)等は如何にもTylerらしく、アップリフティングなM9も前作に於けるA$AP Rockyとの共演を思い出させたりする。
前作「Flower Boy」で顕著になったメロウネスからは、弱さ脆さを包み隠さない人間的な成長が透けて見えるようだが、元からあった露悪趣味を単純に捨象するのではなく(前作のタイトルの括弧付き「Scum Fuck」の部分はその好例だろう)相反する要素を見事に調和させる事で飛躍的に表現に深みが増した感がある。
その感覚は「Syro」に於けるAphex Twinの成熟が何処か感動的であったのとも通じる(どちらも全くのジョークの可能性も無くはないが)。

管楽器やピアノ等の生楽器の音色が顕著だった前作に対して、上物もベースもシンセが基調を担っており、60’sソウルからファンクへの変遷を思わせるという意味では、Anderson .Paakの「Malibu」から「Oxnard」へと至る流れとも共振するようである。
(全然関係無いが、M11の背景で揺らぐ甲高いシンセがどう聴いてもµ-Ziq「Within A Sound」からのサンプリングにしか聴こえないのは自分だけだろうか。)

前作以上にTyler自身のラップは稀薄で、ラップの相対化はKids See Ghostsでも感じた事ではあったが、本作はより総合エンターテインメント・ポップ作品に仕上がっている。
或いは豪華なゲストを招聘して一大アミューズメント・パークの音楽化を標榜したと思しきTravis Scottとの比較も可能であろうが、本人の直接的な存在感が稀薄であるのは同じだとしても、余程こちら方が単純に愉しめるし、何よりプロデューサーとしてのTylerの存在感は前作同様に濃密である。