Sampa The Great / As Above, So Below

どうやらパンデミック下の母国ザンビアへの帰郷が契機となったらしく、Sampa The Greatのアイデンティティであるアフリカ音楽の要素が満載の作品となった。
全編を通じてアフリカン・ドラムやカリンバFela Kutiを想起させるホーンといった音色が基調を成しており、何よりベンバ語のラップ/スポークン・ワードが強烈な印象を残す
(その独特のイントネーションと声色がふとOlaibiを思い起こさせる瞬間もある)。

M3では思わずYoussou N'Dourなんて名前を連想してしまう男声の歌唱と、ハンド・クラップやパーカッション、チャント等の要素が合わさって、ストレートなアフリカン・ポップスをイメージさせる。
中低音域をトーキング・ドラムとサブベースが支えるM8はアマピアノ風と言っても良さそうにも思える。

一方で特にアルバム前半は、ハイハットとサブベースがトラップ的で、アフロ・トラップとでも呼びたくなる(そのまんまだけど)サウンドが披露されている。
特にサブベースが奔放でエキセントリックに動き回るM4(Joey Bada$$参加)は新しいサブ・ジャンルの萌芽を感じさせる程だ。

レイドバックしたムードのM9等には未だネオ・ソウル/ジャジー・ヒップホップ的だった前作を踏襲する感覚があるが、M6のアーシーでロック色の強いファンクにしろ、Angélique Kidjoの勇壮で気高い歌声が沁みるM11のアフロ・ビート調にしろ、コンシャスネスや何らかのメッセージ性を強く感じさせる。
しかしAngélique Kidjoと言いFatoumata Diawaraと言い、アフリカの女性シンガーの歌声のこの訴求力は一体何なのだろうか
(単なる個人的なフェティシズムなのか)?