King Krule / Space Heavy

ファースト・アルバムが2013年のリリースである事を鑑みると、King Kruleこそ(未だ30歳にもなっていないというのに!)現在のUKに於けるポスト・パンク・リヴァイヴァルの先駆けであったように思えて仕方無い。
Tom Waitsや特にサックスの存在感に於いてJames Chance And The Contortionsを連想させるジャズとブルーズとパンクのキマイラのような、時にジャズ・パンクとも呼ばれる音楽性や、そこはかとなく漂う厭世観やセンチメントといった要素はデビュー以来一切変わらない。

と言っても本作でポスト・パンク的と言えそうなのはM2とM8、M9くらいなもので、Black Francisを彷彿とさせる鬼気迫る絶叫も鳴りを潜め、穏やかで弾き語りに近い楽曲が大半を占めている。
Raveenaの相変わらず瞑想的なヴォーカルを全面的にフィーチャーしたM10はその最たるものだ。 
子供が出来た影響でもあるのだろうか?
にしていつもに増して憂鬱そうで、親になったポジティヴな感情の発露等一切感じられない点がKing Kruleらしいと言えばらしい。

アルバム中のどの瞬間を切り取っても純粋に心から好き、どころかソング・ライティングについては過去一番の出来映えにも思えるが、それは異物感の無さの裏返しでもある。
初めて聴くKing Kruleが本作であろうが前作「Man Alive!」であろうが、はたまた前々作「The Ooz」であろうが同じによう興奮し、そして惚れ込んだであろう事は間違いないが、その一方で作品を追う毎にこのサウンドに出会った時の衝撃は薄れていく。

あるアーティストが生み出すサウンドが始めから発明みたいなものである場合にはそれも仕方が無い事ではあるが、King Kruleの場合はアルバム毎に変化すべきだとか、同じ事を繰り返さないというロック・ミュージックが背負ったある種の紋付型のオブセッションに対する強烈なアンチであるようにも思え、寧ろその偏屈なイメージの強化に一役買っているようなところもある。
それは多少の作品毎の特徴はあれど、King Krule自身のフェイヴァリットであるPixiesともある意味では同じ性向にも思え、リニアな進歩史観を嫌い、普遍的なものに価値を見出すタイプ なのかも知れない。
そういう意味ではPixiesの諸作と同様に、年月を経る程に愛着を増していく類の作品のようにも思える。