Disclosure / Energy

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徹底して享楽的で機能的な2ステップ/ハウスは、随所に配されたラテン・テイストが軽薄さをやや控え目にしたBasement Jaxxのようでもあるし、Slowthaiをフィーチャーしてグライムに目配せしたようなM3等のトラックから懐かしいToddla Tを思い出したりもする。
タイトル通りのM8を始めアッパーなビートが目白押しだが、SydとKehlaniをヴォーカルに迎えたM10は一転抑制的で何とも勿体付けた感じがする。
Sydの声が好きなだけに、日本版のボーナス・トラックとして収録されたリミックスの方が潔くて良い。

ポスト・ダブステップの流行に乗じて登場した廉価版のフューチャー・ガラージというイメージを持っていた(例えばMount Kimbleが居なかったら現在程売れていたかどうかは怪しい)が、リミキサーにMJ Coleを起用している事からも判るように、元よりダブステップとは一切関係無く、オーセンティックなUKハウスや2ステップの直線上にある存在で、少なくともメディア・ハイプ等ではなかったのだと思う。

捻りは一切無く理性で面白いと思える部分はまるで無いし、幾分恥ずかしさは否めないが、今はこの享楽性が心地良くあるのもまた確か。
2020年は初頭からCaribouやTame Impala等、ハウスの意匠を組み入れた作品が目立つ印象があり、最近ではここにJessie WareとRóisín Murphyを含めても良いだろう。
ハウス・リヴァイヴァルは2010年代以降言われ続けていて、(その他諸々のリヴァイヴァルと同様に)最早常態化していると言って良いと思うが、コロナ禍で受容する側の気分が変容したというのはあるかも知れない。

と言うのも2001年の9.11の後の一時期にも確かに祝祭的なディスコ/ハウスの要素が目立った記憶があり、勝手にカタストロフとハウス・ミュージックの流行には因果関係があると妄信しているところがあるからだが、そう考える方が幾らか楽しいじゃないかとも思う。
教会とクラブとでは一見正反対にも思えるが、人が集まる場所の為の音楽、或いは集う事を祝福する音楽という意味で、ハウス・ミュージックに現代のゴスペル的な性格が備わるのも理に適った話ではあるように思える。

Kelly Lee Owens / Inner Song

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エレクトロ・ポップ調のM2が中盤で表情をがらりと変えて、M3まで続く臆面も無くアシッディなテクノは、始まったばかりの2020年代の行末を予感させるようなところはまるで無いがとても良い。
コロナ禍の反動は勿論あるだろうと思うが、滅多に無い事に久々にクラブに行って踊りたい気分にされられる。

M4は一転アンビエントを呑み込んだモダン・エレクトロニックR&BトリップホップでFKA Twigsにも通じるし、M6やM10のエキゾティックなシンセポップは声質も相俟ってKaitlyn Aurelia Smithを彷彿とさせたりもする。
(Kelly Lee Owensの方がもっとビートが強いしポップス然としてはいるが。)

M7ではまさかのJohn Caleが歌声を披露しているが、Radioheadとのコネクションを含めてロック・リスナーへの訴求力が高そうという意味でJon Hopkinsに近い存在感を感じたりもする。
事実M8のブリーピーなビートなんかは「Singularity」そっくりだ。
ダンス・トラックに於けるビートはストレートなイーヴン・キックが多く、M5のトランシーなシンセの旋律のレイヤーは最近だとBicepなんかにも通じる一方で、M9のダウンテンポが「Amber」時代のAutechreを強烈にフラッシュバックさせたりもする。

様々なスタイルを援用してエレクトロニック・ミュージックの歴史を俯瞰するようなところは Floating Points「Crush」と共通していて、そう言えばM1後半の硬質でアタックの強いスネアによるIDMのビートなんかは確かに通じるところがある。
決定的なトレンドを欠いた時代の優れたエレクトロニック・ミュージック・アルバムは、少なからず総括的にならざる得ないということだろう。

Freddie Gibbs & The Alchemist / Alfredo

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M7のフロウはMadlibとの「Situations」そっくりで、流石にこれだけリリースが旺盛だとフロウのヴァリエーションが尽きた感が無くもないが、それでもやはりDrake以降、歌うようなメロディックなフロウが主流となった中にあって、Freddie Gibbsのリズムで聴かせるフロウには確かな中毒性がある。
名だたるトラックメイカーから愛されるラッパーだというのも良く解る話ではある。

まさかのトラップもあった「Bandana」に較べて、The Alchemist作のトラックは徹底してサンプリング・ベースでビートも控え目のものが多く、リズムよりもアトモスフィアで聴かせるといった印象。
総じて地味ではあるが心地良くレイドバックしており、特にTyler, The Creatorを迎えたM6のジャジー/フィリーソウル的な感覚は「Scum Fuck Flower Boy」「Igor」に通じるし、M8は「To Pimp A Butterfly」を連想させたりもする。

とは言え決してメロウ一辺倒ではなく、ほんのり不穏でドープなムードが漂うM2やM5は、アブストラクト・ヒップホップ的と言うか少しCompany Flowを思わせたりするし、トラップでこそないもののスクリュードされたホーンのループがアンビエンスを醸出するM7は少し異質な存在感を放っている。

個人的にはDilated Peoplesとの仕事のイメージが強いThe Alchemistだが、近年はKendrick Lamarを始めSchoolboy QやDanny Brown、Anderson .Paak等の作品に於いて、数は少ないながらもアルバムの流れやストーリーテリングのコントロール上重要なトラックを提供している。
サンプリングに拘りながらもMadlib程フリーキーではなく、9th Wonderのようにサンプリングを強調するでもなく、大ネタ使いを避けキャッチーなメロディにも頼らない、派手さは無いが燻銀的なその存在感は、ビートの強度こそ違えどDJ Premireを彷彿させる。

Mark Lanegan / Straight Songs Of Sorrow

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ゴシックで呪術的なオルガンの響きに、全く関係無くキックは極小でスネアと言うよりもパルス音のような機能性が欠落したビートが重なり、これまた脈絡無くMark Laneganのブルージーな歌声が挿入されるM1。 
後半で漸く登場するディストーション・ギターが辛うじてグランジの残滓を感じさせ、結果として当然のように冗長ではあるが、90’sオルタナティヴの残党の生き残り方として一つの可能性を感じさせる。

些か強引かも知れないが少しThrobbing Gristleを感じさせる気もするし、あれ程スタイリッシュではないにしろ、方向性としてはKim Gordonのソロの幾つかの曲に通じるものもある。
よくKurt Cobainが生きていたら今どんな音楽をやっていただろうかと考える事があるが、それがEarthみたいなものでなければ、ひょっとするとこんな風だったかも知れないと思わされる。
(同時にFoo Fightersみたいな音楽だけは絶対無いだろうとも。)

その後はM1のシンセ/ダークウェイヴ路線(と言うのは少し無理あるか?)を継承したような曲と、当たり障りの無いフォーク/ロック半々という感じ。 
前者の延々と反復されるシーケンスやメロディは冗長で、アルバム単位でも退屈には違いないが確実にヒプノティックではある。
(後者に関しては語るべき事が見付からない。)

バリトンの歌声も相俟って特にM6等はDavid Bowie「Black Star」を想起させたりする。
Mark Laneganの年齢を考えると少し枯れるのが早過ぎに思えなくもないが、Queen Of The Stone AgeやUnkleで聴くその歌声よりも余程すんなりと聴きやすく、ロックな曲調に乗った途端に鬱陶しくなる自分の声の特性を良く解っている。

Arca / Kick I

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M1は喩えるならばインダストリアル版Asa-Chang & 巡礼? 
M4はグライムと同時に、トライバルなチャントのようなヴォーカルがOOIOO「Armonico Hewa」を連想させる。
James Blake「Assume Form」にも参加していたネオ・フラメンコのスターRosaliaを迎えたM8は、寧ろエチオピアン・ポップスとレゲトンが出会ったかのような趣きで、Gang Gang Danceに通じるものもある。

エスニック/ワールド・ビート的なサウンドが本作の重要なインプットであるのは先ず疑いようがないが、実はビートの構造自体が大きく変わっている訳ではないようにも思え、もしかするとベネズエランとしてのアイデンティティは、そのキャリアの最初からビートに表象されていたのを聴き逃していたのかも知れないとも思わされる。

ともかくも音に隙間と緩急による強弱が生まれた事でビートの面白さがこれまでに比して圧倒的に解り易く提示されており、ノイズの存在も効果的になった。
飛躍的にサウンドは整理され、M2ではArca流チルウェイヴ/シンセポップも披露される等、コンポジションに於いてもArca史上群を抜いてポップな作品なのは確かだが、だからと言って一切セルアウトもしていない。

間違いなくArcaのブレイクスルーと呼ぶに相応しい内容で、悪趣味は相変わらずだがJesse Kandaの手を離れたジャケットもArcaの第二章を宣言するかのようだ。
それだけに「Utopia」をそのまま踏襲したかのようBjörkとのM6は完全に蛇足に思えるし、M5やM11で前作のメランコリック路線を捨て切れていないのもやや惜しい気がする。

Beatrice Dillon / Workaround

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非西欧のパーカッションを採り入れたエレクトロニック・ミュージックは数多あれど、Aphex Twin「Digeridoo」にしろ、Shackletonの諸作にしろ、呪術的といった表現に表象されるエキゾティシズムを纏ってしまうのが普通だが、Beatrice Dillonの作るビートはタブラを始めとした音色をアクセントとしながらも、全くそのようなイメージに回収される事がない。
それらの音色は確かに特徴的だが、全く依存はしていないというのは、地味なようでいて実に革新的な事だと思う。

基本的に無機質でクールだが、突如として朗らかなブラスが挿入されるM2に於ける奇妙なジャズの援用等、Laurel Halo「Dust」と共振するユーモアを感じさせる。
同時に柔和なテクスチャのシンセ、スペースが多くシンプルでプリミティヴでバウンシーなビート、そして時折聴かれるヴォーカルはYaejiに通じるところもある。

確かにビートを構成する要素やシンセの音色自体は至って素朴で、Yaejiと同じくGarageBandで制作したのではなかろうかといった想像をさせるが、リズムは一聴した印象よりもずっと複雑で、トラックによってはAutechreを連想させたりもする。
特にキックを打つ位置が予想外で、極めて独創的なリズムを生み出している。

総じてボトムは軽めで、決して所謂フロア向きのサウンドではないが、リズムを構成する要素としてのサブベースは雄弁で、トラックによってはミニマル・ダブ(特にKit Claytonとか)を思わせるし、M6やM9等には不思議な疾走感もある。
Panのレーベル・イメージに違わぬエクスペリメンタルさもありつつ、取っ付き辛さは皆無で、ポップでフレンドリーで時にチャーミングだとさえ感じる。

Haim / Women In Music Pt. III

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姉妹バンドによるポップ・ロックにそのバンド名、更には言っちゃ悪いが田舎臭いルックスから、思わずHansonなんかを連想してしまう。
確かに毒気は一切無いし、M2等の何の変哲も無いパワー・ポップは蛇足だとしか思えないものの、シンバルを殆ど用いないドラムによるビートはモダンだし、ベース・ミュージックを援用したかのような洒脱なM3には単なるアメリカの田舎者ではないセンスを感じる
(事実M1で歌われているように出身はLAだし)。

ビート・プロダクションにはGarageBandを使っているらしく、R&BAOR的なM6はThe InternetやSteve Lacyと並べて聴いても遜色無い気がするし、Dev Hynesとの関わりも然程不自然ではない。 
プロデュースにはRostam Batmanglijが関わっているが、ポップネスとモダニズムのバランス感覚や、これ見よがしになる事なく洗練されたその発露に於いてVampire Weekendと共通するものがある。

見た目やバンド名で相当損している気もするが、最初は疑心暗鬼だったのが気が付くとその落差にまんまと魅了されてしまっている自分もいて、如何にもアメリカ(のしつこいようだが田舎)の姉妹バンドといったジャケットは、寧ろ確信犯的なイメージ戦略なのだろうかと訝ってもしまう
(この点でもVampire Weekendの初期のブレッピーなイメージと重なるところもある)。

M1の心躍るハーモニーは何処となくBrian Willson/The Beach Boysを連想させる(やはり血の濃さとハーモニーの強度には関係があるのだろうか)し、ラヴァーズ・ロック風のM8やフォーキーでThe Carpentersアメリカーナを足したようなM9、ハウス/ディスコティックなM14、アップライト・ベースやサックスがジャジーなM16と、とにかくヴァラエティに富んでいて頭から最後まで楽しめるが、かと言って散らかった印象は無く、ポップ・アルバムして理想的と言っても過言ではない。