Shackleton / Three EPs

少し前に読んだインタビューで、Hudson Mohawkeダブステップについて「どれも似通っていて退屈だ」というような発言をしていた。
言いたい事は良く分かるのだが、振り返ってみると、そもそも特定のシーンが熱気を保っている間こそ多くのエピゴーネンによって似たようなサウンドが横溢するものだという気もするし、ここ最近のダブステップに関して言うならば、必ずしもその発言は的を得ていないのではないか。
自分の知る限り、ダブステップは多様化の一途を辿っている。
その動向は「作家性」の芽生えとでも呼べそうなものだ。

Shackletonはダブステップシーンの中では当初から非常に突出した作家性を有したトラックメイカーだったが、この新作によってその作家性はまたもや更新された感がある。
Shackletonのサウンドと言えば、Ricardo Villalobosとのコネクションが物語るミニマル〜クリックとの親和性と、何よりもタブラ等のパーカッション類によるトライバルでポリリズミックなビートがその作家性の根幹を成していたと言えるだろう。
そのオリジナルなサウンドに一切陰りは無いが、それ以上に本作で印象的なのはその音響のレンジの広さだ。
ビートでもなく上モノと呼ぶにはアブストラクト過ぎる、誤用を承知で言えばある種ドローン的な電子音響の多彩さは、ダブステップのみならず近年のエレクトロニックミュージック全般においても突出している。

それにしてもこれ程の音響へのフェティッシュな感覚を聴くのは本当に久々だという気がする。
その音響が想起させるのは90'S後半〜00'S前半のエレクトロニカだ。
トライバルなビートや低音のベースを剥ぎ取ってみれば、まるでRichard DevineやPhoeneica等のマイアミ産エレクトロニカのようにも聴こえる。
実際、ダブステップアイデンティティとも言えるベースが殆ど現われず、パーカッションとアブストラクトな電子音響のみが基幹を成すような曲すらある。

考えてみればShackletonにはダブステップのシーンからは距離を置くような類の発言が多いし、Skull Discoをクローズして最初に選んだレーベルがPerlonだと言う点も非常に示唆的だという気がする。
恐らくShackletonにとってみれば、ダブステップなど何らの必然性も有していないのだろう。
その異端性には何処となく、テクノにおけるAphex Twinの姿を彷彿とさせるものがある。