Dam-Funk / Toeachizown

Stones Throwの最近の攻勢振りが凄い。
元々、Peanut Butter WolfMadlibプライベートレーベル的な印象の強いレーベルだったが、このところSavath & SavalasやOmar Rodriguez Lopezなど、ヒップホップの枠を超えた越境的リリースが続いている。
そしてこのDam-Funkのフルアルバムで遂に新世代のビートシーンに殴り込みか、と期待して聴いたのだが、見事にその期待は裏切られた感がある。

全編を通じてフィーチャーされたスペーシーなシンセとベースは確かにFlying LotusやSa-Raに通じるコズミック・ファンクを感じさせるが、サウンドのレイヤーは先の2組に比べると圧倒的にシンプルで、サイケデリックな感覚は殆ど無い。
1曲目などは新世代のビートというよりも2009年版の「Planet Rock」といった連想さえさせる。

基本的にはグルーヴィーなベースラインにメロウなシンセによる上モノという至ってシンプルな構造で、エディット感も乏しく、緻密に作り込まれた感じよりもむしろワンアイデアで全編押し切ったという印象がある。
1曲毎の展開は少なく、ほぼ最初から最後まで同一のベースラインやシンセのフレーズが続き、これといったブレイクも極端に少ない。

これは原雅明の言う「サウンド」、つまりアルバムや曲へパッケージングされた「作品」という従来の音楽の在り方とは別の、より断片的なサウンドそのものを提示していくような傾向として捉える事も可能だ。
その意味ではJ-DillaやMadlibの系譜に属するビートメイカーだと理解しても良いような気もするが、どうしてもそこからは零れ落ちてしまう異物感がこの作品にはある。

引っ掛るのはその1曲の長さだ。
平均しても5〜6分の曲が続く(しかも2枚組)この作品を、J-Dillaの「Donuts」と並列に語る事には何となく違和感を感じてしまう。
その制作プロセスなど知る由も無いが、完成したビートをループさせ、その上にシンセの生演奏を一発撮りしている内についつい長くなった、そんな光景が浮ぶ。
このある意味での冗長さ(しつこさと言い換えても良いかも知れない)からは、P-FunkやSun Ra、あるいはJames Brownから脈々と続く、ブラックミュージックの狂気的な伝統を感じずには居られない。
その意味でDam-Funkとはビートメイカーとしてよりもむしろ「パフォーマー」として理解する方が近い、そんな気がする。
実にライブが観てみたいアーティストだ。