野田 努, 三田 格, 松村正人, 磯部 涼, 二木 信 / ゼロ年代の音楽 壊れた十年 The Music Of The Decade



音楽をディケイドで区切って捉える事に大した意味は無い。
けれども音楽に過剰な価値を見出す人間にとって
それが抗いようの無い魅力的な事であるのも良く解る。
要するに我々は10年だろうが1年だろうが100年だろうが
事ある毎に音楽の話がしたいのだ…。


勿論本書の著者達と自分を同一視するつもりは無いけれど
(多少なりとも影響も受けているだろうし)
やはりこの10年について共通する感覚はあると思う。
「壊れた10年」を自分なりに噛み砕いて表現してみるならば
それは「懐古的な10年」という事になるだろう。


「ノーティーズ」とは良く言ったもので
00年代に現れた音楽の中に抜本的に新しいアートフォームは皆無だった。
(それを後押しするような技術革新も無かったし。)
00年代にはヒップホップやアシッド・ハウスのような発明も無ければ
AutechreTortoiseのような革新者も現れなかった。
代わりに過去の音楽ジャンルやスタイルが
代わる代わるピックアップされては組み合わされて
その一部は既に殆ど話題に上らなくなった。
(ハイフィとかスクウィーとかグライムすら最近すっかり耳にしなくなった。)


いつの時代もそんな事の繰り返し…ある程度はその通りかも知れないが
本書で松村正人が述べている
1999年と2009年においてポップスターの顔触れが殆ど変っていない
という印象には激しく同意する。
BeyonceRadioheadという例えが的確かどうかは置いておくとして
少なくとも1994年に1984年産の音楽など古臭くて聴けたものではなかった。


ではそんな低調な10年の間に生まれた音楽が退屈なものだったかと言うと
結果的に自分はM.I.A.Animal Collective
ダブステップの幾つかの作品を楽しむ事が出来た。
それらの音楽には驚くような斬新さこそ無かったが
そのユーモアやフリークネスやある種の過剰さには
自分を現在進行形の音楽に留めさせるに充分な魅力があった。


それは漸く実感する音楽におけるポストモダンのような状況で
少なからず諦念を伴いながらも次第に
「革新」や「進化」といった価値基準は隅に追いやられていった。
まぁ何かしら「変化」さえあれば、何とか楽しんでいけるという実感
それこそが00年代における最大の成果だったような気がする。


とは言えFlying Lotusの「Cosmogramma」と共に始まった次の10年に
過剰な期待を寄せてしまいそうな自分も居るのだが…。