Mala / Mala In Cuba

2000年代後半からのエレクトロニック・ミュージックに於ける最大のトピックであったダブステップが、初めてその減速を感じさせた2012年に、一際存在感を放ったのがMalaとShackletonであったという事実には実に興味深いものがある。
オリジナル・ダブステップ世代の方や正統、方や異端の象徴のような2人のプロデューサーが、共にサブベースとポリリズミックなパーカッション類を駆使して作り上げた音楽は、両極端ではあるが、確かにそこには共通したストイシズムが通底していて、実体の無いポスト・ダブステップの狂騒が些か空疎に感じられ始めたタイミングだからこそ、より強度が増幅したというのは解り易い話ではある。

物の見事にソングに寄り添う傾向を露にしたポスト・ダブステップ(James Blake、Mount Kimbie、Darkstarを想定)とは対照的に、2人のサウンドは相変わらずリズム・オリエンテッドで、更に装飾=ノイズを排したMalaの音楽に特に特徴的な、独特のスピード感を有したハーフステップは宛らダブステップの教科書のようだ。

「Mala In Jamaica」ならぬ「Cuba」という、些か色物めいた企画性に嫌な予感を抱いたのは自分だけではないだろうが、蓋を開けてみると「Buena Vista Social Club」にサブベースとハーフステップを足し合わせたような安易な内容とは全く違い、パーカッションを中心に現地の演奏家とのセッション音源は極めて注意深く厳選され、トラックを構成するマテリアルの一部として使用されている。
そこに所謂オリエンタリズムや音を記号的に用いるような態度は希薄で、キューバ音楽特有のイディオムを特別扱いする事無く、厳格な審美眼と絶妙な構成力を以て自身のトラックに落とし込む事で、安易な企画モノに堕する事が周到に回避されている。
M2のイントロに於ける軽快なピアノ等、所々に如何にもアフロ・キューバンといった趣きの要素が象徴的に配置されてもいるが、やがてサブベースの彼方に霧消して行きトラックを支配する事は無い。
(尤もそれだけに効果的だとも言えるのは確かだが。)

James BlakeやGoth-Tradのような他のミュージシャンから口々に発せられるMalaの人間性に対する称賛の言葉は、彼に寄せられるリスペクトが単に音楽のみによるものでない事を示しているが、一方で本作では、現地のミュージシャンとの交流に絆される事無く、極めて即物的に音を扱う、冷徹なまでにストイックで求道的なMalaの音楽と向き合う姿勢を目の当たりするかのようでもある。