Luminous Orange / Songs Of Innocence

最近室内楽的要素を感じさせる作品に触れる機会が多くなった気がする。
昨年のDirty ProjectorsTyondai Braxtonのアルバムから始まり、最近のThe Rootsの新作にもその様な雰囲気があって、「チェンバー」という言葉がポップ・ミュージックにおけるある種のキーワードと化しつつある印象すら受ける。
先述した人達は正統な音楽教育をバックグラウンドに持つアーティストばかりなので、何を契機にしてかそのような素養を躊躇無く作品に反映出来る空気が拡がりつつあるのかも知れない。

Luminous Orange = 竹内里恵の音楽的背景にクラシカルな音楽教育があるか否かは定かではないが、確かドビュッシーだかラヴェルだかを好きだと語っていた記憶があり、本作はこれまでで最もそのような嗜好性が前面に押し出された印象を受ける。
如何にもな楽器が使用されている訳ではないが、珍しく穏やかなギターとエレクトロニクスによる重奏的な構造や、オーバーダブによるポリフォニーや、妙に明瞭な歌などにその要素を嗅ぎ取った。

新しい試みがある一方で、相変わらずのLuminous Orangeの十八番とでも言えそうなフィードバック・ノイズに彩られた疾走感溢れる曲には思わず安心感を覚えてしまう。
My Bloody ValentineSonic Youth、似たようなサウンドなら幾らでも挙げられそうな気もするが、独特のコード進行に竹内里恵の歌が乗るだけで、Luminous Orangeサウンドとしか表現しようの無いワン・アンド・オンリーなサウンドが現出するのは実に不思議だ。

その音楽性を簡単に表現するならば「シューゲイザー」という単語の使用は避けられないが、昨今決定的な傾向になってきたシューゲイザー・リヴァイヴァル(最近ではシットゲイズなどと呼ぶらしい)との同調は意外な程感じられない。

シットゲイズの参照点が「Loveless」である事は間違い無く、Kevin Shieldsがギターとサンプリングを駆使して練り上げたサイケデリアを、アメリカの若い世代はあらゆる音色を素材にいとも簡単に再現している。
一方でLuminous Orangeサウンドはどちらかと言えば
Loveless」以前のMy Bloody Valentineの影響下にあると思う。
(竹内里恵本人はSlowdiveが一番好きたと発言していたが。)

かつてシューゲイザーと呼ばれたバンドのギタリスト達は、靴ではなくて足元に散乱した多量のエフェクターを注視しながら演奏したが、エフェクターとは言うまでもなくギターという楽器を拡張する機器であり、その意味でシューゲイザーとは先ず以てギターに纏わる冒険を指していた筈だ。

Kevin Shieldsはとっくの昔にその冒険からドロップ・アウトしてしまったが、この極東の国でギターという楽器に憑かれた女性がたった一人、20年近くに渡りその冒険を続けているという事実は実に頼もしく、また少し感動的ですらある。