Deerhunter / Halcyon Digest

Animal Collective以降のアメリカのインディロックはこの一年くらいの内に一気にシットゲイズやグローファイ、チルウェイヴなどのサブジャンルにカテゴライズされたが、Deerhunterというバンドはそれら新しいサウンドの象徴のように扱われている印象がある。

シットゲイズとグローファイはいずれも90年代にそこそこ影響力のあったスタイルの現代版のヴァリエーションだが、本作のサウンドシューゲイザー的でもローファイ的でもないし、過去のDeerhunterやAtlas Soundの作風と較べてもむしろそれらから遠ざかった印象を受ける。

シューゲイザーとはエフェクトやシーケンスを用いて音像を変形させる手法だと定義出来ると思うが、本作の残響処理はこれまでになく慎ましやかで、そのスタイルに最たる特徴と言えるディストーションに至っては全く現れてこない。

一方で演奏技術や録音環境のチープさを音楽的なチャームポイントに転化する試みだとローファイを定義してみるならば、この作品におけるプロダクションは(ハイファイとまでは言えないが)ある種の精緻さを感じさせ、極々微小の音量で密かに鳴る様々なノイズには久々にヘッドフォンで聴くべき音楽に出くわしたという感覚があり、初めて「OK Computer」聴いた時の事を思い出した。

とは言え本作にRadioheadの場合のような戦略性は感じられず、ポストプロダクションへの拘泥は作品を貫くアプローチにすらなってはいない。
この作品の得も言われぬ厄介さは正にそのような戦略性や狙いが些かも顕在しない点にあるような気がする。
革新への意思も無ければ、ノスタルジーも無く、かと言って良くあるソングライティングにフォーカスした作品だと理解するには余りに単純な(Aメロとサビを繰り返す)曲が多く、創意工夫の跡も見て取れない。

幾ら耳を凝らしても標榜したものは聴こえてこず、逆にやりたくなかった事ばかりが顕わになるようで、その「空っぽな感じ」こそ本作に漂う猛烈な異物感の源泉であるようにも思えてくる。
敢えてこの作品に「あるもの」を表現するとすれば「筋金入りのデカダンス」といったところだろうか。