Oval / O

このアルバムにおける変化は余りにドラスティックだ。
明確な構造や展開、そしてリズム(Markus Popp自身よるドラミングは本作における最大のトピック)といった要素はどれも以前のOvalのサウンドには皆無だったものであると同時に、それらは殆ど「音楽」と同義語でもある。

確かに以前のOvalのサウンドは、音楽と言うよりもサウンドデザインに近く、そこでは時間軸や音のストラクチャに耳を傾ける事に殆ど意味は無かった。
CDというアーカイヴを微分する事で生まれるスキップノイズが象徴するように、かつてのOvalの方法論とは「音楽」を「音」に還元する試みであったと言えると思う。

その試みは確かにエレクトロニカの時代における「音楽とは何か」という思索に対し重要な示唆を与えた。
Ovalという存在は紛れも無くその時代におけるアジェンダセッターであり、また類稀なアジテーターとして機能した。

但し自分がOvalに魅了された理由はその点にのみあった訳ではない。
むしろそのサウンドから否応無く滲み出る叙情性=メロディの断片からは、矛盾を承知で言うならば豊潤な「音楽性」を感じてもいた。
そして本作ではその「音楽性」が惜しげも無く前面に展開されている。

奇妙な事にその隙間を生かしたシンプルな構造や流動性、アタック音が生み出すリズムなどは、Autechreの近作との同調を思わせる。
かの時代に「音楽の拡張」を体現したAutechreと「音楽の解体」を標榜したOvalが、現在において同じベクトルを向いているように感じられる事は非常に興味深い。

その変化についてMarkus Popp自身の話を聞いてみたい気もするが、最早熱心にMarkus Poppの動向を追い掛けるメディアも無く、話が聞けたところで出てくるのは冷淡な言葉に違いないのだから、今はただこの美しい音楽に耳を傾けるだけで満足しておくのが賢明だろう。