Mice Parade / What It Means To Be Left-Handed

かつてのThe Dylan Groupには、Tortoiseに次ぐポストロックの象徴的存在というイメージを持っていたし、その中心人物だったAdam Pierceの事はJohn McEntireやJim O'Rourkeと並ぶイノベーターとして認識していたが、久々に聴くMice Paradeの音源にそのイメージは限り無く希薄だ。

本人によるものなのかDoug Scharinによるものなのかは判らないが、手数足数の多いバウンシーなドラミングの巧みさは相変わらずで、ポリリズミックなパーカッションやスパニッシュ・ギターなど、Mice Paradeサウンドを特徴付けてきた記号は健在だ。
但し音色や曲の構造・展開に目新しさは無く、現在のAdam Pierceの興味が、良いメロディや古典的なソング・ライティングを志向しているのないかと思わせる。

ブラジリアン・ジャズやMy Bloody Valentineは言わずもがな、懐かしいLemonheadsのストレートなカヴァーからは、現在のAdam Pierceが過去に愛聴してきた音楽からの影響を臆面も無く披露する様子が窺われ、頗る健康的な環境や精神状態にあるのだろうと想像する。

それは人として好ましい事には違い無いのだが、かつて時代を象徴した才人の変化としてはどうしても諸手を挙げて歓迎する気になれない。
決して悪い作品ではないし、むしろ積極的に賛美したい衝動も無くはないが、ここには「Mokoondi」に確かにあった、単純だが瑞々しく、思わずほくそ笑んでしまうようなアイデアの煌きは微塵も無く、この成熟にはどうしたって一抹の寂しさが付き纏う。