Contrarede Presents 4AD Evening


Ariel Pink's Haunted Graffiti

スパンコールが眩いシャツにスリムパンツというふざけた格好で登場したブロンドのAriel Pinkの姿は宛らグラムロックのパロディで、額の後退したギタリストは「Thriller」のMichael Jacksonの服装をしたElvis Costelloのようで、つまりは期待に違わぬスラップスティック振りだった。
70〜80年代ポップスのゴミ箱を引っ繰り返したような支離滅裂な楽曲は演奏するのが大変そうだと思いながら観ていたが、バンドの演奏には意外に破綻は少なく、ジョークをジョークとして成立させるにはやはりそれなりの技術が必要なのだろうと考えた。
この日のAriel Pinkがそうだったように、ステージ上で奇声を発する人からは、その人生が背負ってしまったものが透けて見えるようで笑いが込み上げると共に目頭が熱くなる。
そこには狂わなければ(或いは狂った振りをしなければ)ならなかった理由があるのだ(多分)。
ブロンドの髪をぐしゃぐしゃにして叫ぶその姿を眺めながら、思わずKurt Cobainが20年遅れて産まれていたら今どんな音楽をやっていただろうかと考えた。


Deerhunter

2011年の初頭にDeerhunterを観る事は、1991年にNirvanaMy Bloody Valentineを観る事や、1997年にRadioheadを観る事に近しい体験かも知れない。
そんな事を考えずには居られない、マジックとしか呼びようの無い何かがこの日のライヴにはあった。
演奏はAriel Pink's Haunted Graffitiと較べてもトラッシーで、「Halcyon Digest」のある種の静謐さは捨象され、ディストーションとリヴァーブによるシューゲイズ・サウンドに終始していた。
それは使い古された手法ではあるし、クラウトロック的な反復との融合も決して斬新なものではない。
けれども幾重にもレイヤーされた凶暴なギターノイズと、その裏側に微かに聴こえる(ような気がする)甘美なアンビエンスには、聴衆を圧倒すると同時に耽溺させるに充分な効力があり、緊張感漲るバンドの佇まい手伝って、何か重要な出来事に立ち会っているような気分にさせられた。