Brian Enoの居ないアンビエント史というコンセプトには成程確かに口に出してみたくなる魅力がある。
後書で三田格が述べているように、アンビエントとは特定のジャンルではなくそれらを横断するスタイルである。
前作がBrian Eno「Music For Airports」とThe KLF「Chill Out」を軸にした、アンビエント・プログレッシヴ・ロックとアンビエント・テクノによるアンビエント正史だとすると、本作ではそれとはほぼ無関係の半ば事故的にアンビエンスを備えてしまったミュータント・ミュージックの寄集めである。
ミュージック・コンクレートや映画音楽にニューエイジ…そこには歴史と呼べるような連続性は無く、作品を時系列に並置する事にも然して意味は感じない。
それでも編者が実は本作を編纂する為に前作を作ったのではなどと訝ってしまうのは、ドゥーム・メタルから派生したアンビエント・ドローン以降の動向が表の歴史とは単純に結び付かない突然変異のように映るせいかも知れない。