Tim Hecker / No Highs

2000年代の後半にノンビートのエレクトロニック・ミュージックがかつて無くポップ・フィールドに躍進した際、それが単純にアンビエントとは呼ばれずに「/ドローン」という注釈が付されたのは、勿論原義通りの通奏低音を伴うという特徴を有していた事もあろうが、それ以上にともすれば安易にチルアウトやヒーリングと結び付けられなくもなかった従来のアンビエントとは相容れない、何やら不穏な要素を指す為だったのではないか。
そしてその不穏さやヘヴィネスを代表し、同時に誰よりも拘泥してきたのが他でもないTim Heckerだったように思う。

Tim Heckerにしては珍しく(ないかも知れないが) 本作は無機質に規則的なリズムを刻むパルスの如き単音のシンセの脈動で始まる。
そのパルス音はある種のテーマ、或いは比喩表現を用いるならば正に通奏低音のようにアルバム中の至るところに姿を現すが、すぐに厳かなドローンに包まれる。

そのシンセ・ドローンをギターのフィードバックに置き換えれば、音量こそ控え目ではあるもののBrian Enoよりは余程Sunn O)))に近い音楽であるのは明白で、要するにいつも通りのTim Heckerだが、安心感よりもマンネリ感が勝つというのが正直なところではある。
コロナ・パンデミックが開けようが、Tim Heckerの目に映る世界は常に変わらず不穏で重苦しいという事なのだろう。
但し殆ど浮遊感のあるオーソドックスなシンセが揺蕩うM5だけは例外で、純然なアンビエントと呼んでも良いように思える。

更に強いて挙げるとするなら、Colin Stetsonを始めとした器楽奏者とのコラボレーションというのがトピックにはなるのかも知れない。
サントラ仕事を除いた前作、前々作が大々的に雅楽隊をフィーチャーしていたように、Tim Heckerが器楽音を採り入れるのはこれが初めてではなくそれ自体に目新しさはまるで無いが、M7のColin Stetsonのサックスほどはっきりと演奏という行為が表面化するのは珍しい。
だからと言ってこれを変化の萌芽だなどと言う気は全く起こらないが。