Mute Beat / The Best Of Mute Beat

他の国のレゲエ需要というのは実のところ良く分からないが、少なくとも日本に於いてヤンキー文化として以外のある種スタイリッシュなレゲエ・ミュージック需要が成立しているように思えるその背景には、Mute Beatというバンドの存在の影響が大きいのではないか。

Mute Beatが単なるジャマイカ音楽愛好家の集まりではなく、その音楽が日本版ポスト・パンクの一環であったというのはその後こだま和文を除くメンバーたちが尽くヒップホップやクラブ・ミュージックに流れていった事からも確かなように思える。
更には本作の収録曲が制作された1986年〜1989年という時期を鑑みると、Mute Beatのそのスタイルの選択が、バブル期の経済力を背景に世界で最もレコードの集まる都市になろうとしていた当時の東京に於けるレアグルーヴ探求の一種であったのではないか。

ある意味回り道を経て始まった日本のレゲエ/ダブ需要の一端は、その後様々にこの国独自の発展を見せたが、本作の楽曲には既にその萌芽を聴き取る事が出来る。
ダブに対する誤解によるものという説もあるが、事実であろうがあるまいがMute Beatの導入したライヴ・ダブという発明は確実に多くの耳を拡張しただろうし、Dub Master Xの存在はFishmansにおけるZakやDry & Heavyの場合の内田直之のような、バンドの構成員としてのダブ・エンジニアを先駆けていた。
勇壮でいて日本的な湿り気をも感じさせる児玉和文のトランペットが奏でるメロディは、日本のレゲエに歌心だけでなく、Little Tempoのように単純なルーツに拘泥しない軽やかな土着性を齎したように思えるし、延いてはSly MongooseTokyo No.1 Soul Setのようなレゲエ/ダブを出発点としながら今では全く何と呼んで良いのか判らない音楽が生まれる契機になったかも知れない。

考えるのはもしも佐藤伸治が生きていて、FishmansがMatadorと契約するような事になっていたら、この国のドメスティックでオルタナティヴなレゲエ・ミュージックが挙って海を渡っていたかも知れないという事で…。