Deerhoof / Deerhoof Vs. Evil

00年代の終わりから現在に至る数年間はどうも久方振りのアメリカン・インディ・ロックの時代という事らしいが、その在り方は昔と較べると随分様変わりしたものだと思う。
90年代のグランジ・ブームに端を発するインディ・ロックの流行は「オルタナティヴ」という呼称にも関わらず、少なくともGrand Royalの活動が活発化し、Beckが颯爽とメインストリームに登場する90年代の半ば(つまりはKurt Cobainが生きていた間)までは、ギターにベース、ドラムという古典的なロックンロールのフォーマットを主流としていた。

一方で現在のシーンを代表するバンドの多く(例えばAnimal CollectiveMGMTなど)は構成からしてロックンロールから逸脱しているし、オーソドックスな形態のDeerhunterにしたってその音楽はロックであっても決してロールはしていない。
確かな事は言えないが、1960年代以降のポップ・ミュージックの歴史上、これ程までにロックンロールが疎外された時代も無かったのではないか。
90年代中旬からの後期アメリカン・オルタナティヴから
90年代後半〜00年代初頭のエレクトロニカ/ポストロック期(要はThe Strokesが登場するまで)が一つ思い当たるところではあるが、ジョークとしてであれ、Jon SpencerやRoyal Truxのメタ・ロックンロールには依然として高い人気があった。

ゼロ年代に頻発したリユニオン・バンドやSonic Youthのような超大御所は置いておいて、現在でもある程度、存在感のあるロックンロール・バンドと言うと、Deerhoofくらいしか思い浮かばないが、このロックンロール受難の時代において彼等が尚も特別な存在であり得ているのは、その安定感と目新しさのバランス感覚がずば抜けているからではないかと思う。

本作のテーマは結成16年に因んで「スウィート・シックスティーン」という事らしく、成程、確かに鍵盤打楽器やベルの類の可憐な高音やシンセの多用によるカラフルな音像がDeerhoofならではの継ぎ接ぎじみたスキゾフレニックな展開と相俟って、10代の混乱が巧みに表現されている。
「16歳→ポップでカラフル→高音」とは実に安易な発想ではあるが、Deerhoofにおける作品毎のコンセプトはそれ自体に大した重要性は無く、それは新しい試みを誘発する為の触媒なのだろうと思う。

当たり前だが、どんなバンドでも短絡的に新しいアイデアに手を出し続けてさえいれば一定の存在感を保っていられる程、話は簡単ではない。
新奇なアプローチが仇となって、ポピュラリティを失ってしまう例は腐る程転がっている。
Deerhoofの音楽が常にフレッシュであると同時に、聴く者に安心感を与えもするのは、様々なアイデアが齎す変化を支えるだけの強固なサウンドの基盤があるからだろう。
ざらついたテクスチャのスペースを生かしたリズム・ギターと手数足数の多いドタバタしたドラム、それにサトミ・マツザキの舌足らずでチャイルディッシュなヴォーカル、それらの大部分はロックンロールという音楽形式に対する説明と同義だと言っても良い。

別にロックンロールに拘泥する気は毛頭無いし、如何なる基盤も持たない根無し草的表現もそれはそれで面白いけれども、彼等やSonic Youthのようにその埃を被ったフォーマットで冒険を続ける事も決して悪くはないとしみじみ思う。