川粼 大助 / フィッシュマンズ 彼と魚のブルーズ

故人について身近な人間によって語られる言葉は、どうしたってセンチメンタルにならざるを得ない。
対象と書き手の距離感において本書は、Everett Trueの「Nirvana The True Story」に良く似ている。
(尤も同書は最終的にKurt Cobainではなくて、Courtney Loveへの想いの発露となるのだが。)

本書と同様に、「Nirvana The True Story」の文章は感情的で主観的で些か自己顕示欲が強過ぎる嫌いはあったものの、本書程何か居た堪れないような居心地の悪い気分にはならなかった。
予め日本語で書かれたものと翻訳の違いは当然あるだろうが、それ以上にこの物語の舞台や時代背景が自分にとってある種生々しいものである事がその気分の大きな要因であるように思える。

自分がFishmansの音楽と本格的に対峙したのは例によって「ナイトクルージング」が最初だった。
徹底して穏やかで起伏の無いダウンテンポは、当時の日本は勿論、海外を見廻しても極めて特異で、その空虚さすら漂うサウンドは少し怖くなるくらいに衝撃的であった。
その後「Long Season」に至って自分の受けた衝撃は殆ど信奉に変わるのだが、これは直接的な表現を避けつつも著者が揶揄する「便乗」の典型なのだろう。
まぁ「空中キャンプ」以降のFishmansの音楽が、ある意味でそれ以前よりも「解り易い」のは確かだろうとは思う。

ともあれ自分がFishmansの音楽と共に過ごした時代は本書で言うと270ページ以降の話で、要するにバンドの歴史の3分の2を過ぎてからという事になる。
けれどもかの「米国音楽」誌の発行人であった著者が描く「ナイトクルージング」以前の東京とは即ちFishmansがその周縁を漂い続けた「渋谷系」のドキュメントでもあって、それは幼い自分が心底憧れた場所でもあった。

その気恥ずかしさが居心地の悪さを齎していることはまぁ間違い無いが、それを差し引いてみても冗長な風景描写は鼻に付くし、過去の思い出と批評を行ったり来たりする落ち着かない構成もどうも気持が悪い。
特に自分のように佐藤伸治が吐く言葉の意味よりも強度に惹かれる人間にとって、その歌詞の個人的解釈を物語化して披露されるというのは実に苦痛で、何とも読後感は宜しくない。