大石 始, 吉本 秀純 / Glocal Beats

00年代も後半に差し掛かろうという時期に、数年間の空白を経て自分が再び現在進行形のポップ・ミュージックを聴き始めた頃、巷は非西欧圏由来のビートで賑っていた。
ブラジルのバイリ・ファンキを始めプエルトリコレゲトン、アルゼンチンを中心としたデジタル・クンビアやアンゴラのクドゥロ、トリニダード・トバゴのソカ等々。
本書が「マージナル」という言葉を避けて、「グローカル・ビーツ」と名付けたそれらの音楽からはしかし、例えば90年代のゴア・トランスなどとは異なり、Edward W. Saidの言うところの「オリエンタリズム」、と言うか搾取の匂いは不思議と余り感じられなかった。

M.I.A.というスリランカ系のキュート且つ獰猛なポップ・アイコンの存在がそれら音楽の担い手達が単なる操り人形ではない事を印象付けた面もあるだろうが、個人的にそれよりも大きかったのは、そのトレンドを牽引したDiploというアメリカの白人の、世界中のビートを次々に掘り起してゆく手付きが、マイアミ・ベースやボルティモア・ブレイクスを扱う際と全く相違無いように見えた事で、それは地理的な辺境ではなくむしろ社会的辺境=ゲットーから生まれる音楽こそがヒップなのだという態度に思えた。

それが新しい搾取の形なのだと言われれば返す言葉は無いけれど。