Oneohtrix Point Never / Returnal

狂暴なハーシュ・ノイズに珍妙なSEや咆哮が入り混じる冒頭は、昔のBoredomsKid606が遭遇したかのようで、Emeraldsの場合よりも遥かに親しみ深いものではある。
Emeralds「Does It Look Like I'm Here?」においても本作においても、M1はイントロダクション的「掴み」の意味で半分ジョークのようにも思え、その後は重層的なシンセ音による叙情的で幽玄な、ある意味ベタと言っても良いアンビエントが続くが、Emeraldsのサウンドよりも違和感が少なく素直にレイドバック出来る気がするのは、単にメロディ・センスやギターの音色の有無の違いに因るものか。

確かにOPNのサウンドクラウトロックを想起させるものではあるけれど、「コズミック」と言うよりは何処か壮大な自然の音による模写のようでもあり、曲によっては直ぐにでもビートが聴こえてきてBoards Of Canadaになりそうな瞬間もある。

それでも何かが違う、何かが以前とは決定的に異なっているという断絶の感覚は、やはり本作からもそこはかとなく、しかし強烈に漂っていて、その感覚と「ベタ」な印象が只管噛み合わず…。

OPNやEmeraldsのメンバーは、その音楽をクラブ・ミュージックの範疇で捉えられる事に対する結構な嫌悪感を持っているというのを何かで読んだ記憶があるが、言われてみると確かにこのアンビエントは(何処がと言えないところが口惜しいが)、不思議とレイヴ・カルチャーのチルアウト感覚からもポスト・テクノにおける電子音響とも微妙にずれているように思える。
セカンド・サマー・オブ・ラヴが無かったとしても鳴っていたであろう音楽とでも言うか。

ミニマル・テクノを経験した耳による過去のクラウトロック・リヴァイヴァルはある種の先祖返り現象だったと言えるだろうが、このアメリカの若い世代によるManuel GöttschingやTangerine Dreamの再発見からは、むしろクラウトロックの背景にあるドイツ現代音楽のDNAが突如現代において活性化したかのような妄想が呼び起され、その動向をポスト・クラシカルの一傾向と捉えてみると、意外に感じられたMegoとの関わりも案外自然にも思えてくる。