例えば90年代のディストーション・ギターのように、仮に時代を象徴する音色があるとすれば、00年代は間違い無くベースとリヴァーブの時代だったと言えるだろう。
低音域への執着とダブ処理はダブステップのアイデンティティの一部であると同時に、ポスト・ダブステップの地平においてはそこからの解放や逸脱が競われていて、それはダブステップのオリジネイターの一人であるKode9の新作とて例外ではない。
The Spaceapeによるトースティングを別にすれば、ここにはKode9が拘泥してきたダブ的な要素は殆ど聴かれず、Hyperdubというその名の通りUKダブ〜ジャングルの発展型を標榜したレーベルのオーナーの割にはフットワークが軽過ぎる気がしなくもない。
ダブに代わって本作で台頭してきたのはポリリズミックなUKファンキーのビートとジュークの要素だろう。
要するにそれらはUKとシカゴにおけるディアスポラ・ミュージックの新しい成果であり、Kode9のアフロ・フューチャリズムに対する一貫した拘泥を証明するものでもある。
それにしても次第に複雑性を纏うようになってきたポスト・ダブステップの傾向と相反するように、相変わらずKode9のサウンドの構造は非常にシンプルで、それは恰もロックンロールがプログレッシヴ・ロックに、或いはデトロイト・テクノがIDM〜エレクトロニカに発展する過程で施されたプロテスタント的な洗練という「漂白」に抗う身振りだとも取れなくはない。