野田 努 / もしもパンクがなかったら



佐々木敦がポップ・ミュージックを見限ってFaderが終わった後
気が付くと傍らに残っていたのはRemixと野田努の文章だった。
そこには目から鱗が落ちるような
音に纏わる示唆に富んだ思考の冒険こそ無かった代わりに生活者の視点があり
それは革新無き、ムーヴメント不在の時代に
それでも尚音楽と共に生活を続ける支えとなってきた感がある。


非音楽専門誌に掲載された文章を纏めた本書を読んで思うのは
野田努という人はやはり根本的にロマンティストなのだという事で
彼はM.I.A.の反抗やBeach Houseのイノセンスを称賛し
Burialのサウンドディストピアの夢を見る。


それらは「こことは違う世界の希求」であるとも言えるが
音楽が手段化される際に覚える抵抗感が不思議と無いのは
その文章が音楽による変革を支持していると言うよりも
変革を夢想する音楽への愛情が滲み出ているからだろう。


加えてそこには根拠の無い安易な断定や見苦しい自己愛は微塵も無く
「と言う事にしておこう」とか「かも知れない」といった語り口には
潜在的にか意図的にか心地良い程度の自己猜疑が感じ取れ
それは確かに批評家としては誤った態度なのかも知れないが
最初から野田努はそんなところを目指していないだろう。


そこには居酒屋で音楽好きでサッカーフリークの
気の良い中年男性の話を聞いているような寛いだ空気がある。