2562 / Fever

今にして思えば、UKガラージのミュータントとして生まれたダブステップが様々なスタイルへと拡散する契機には、2562やMartynやScubaらによるテクノとの接合があったのではないかという気がする。
またそれらのサウンドが、PinchやKode9らオリジナル・ダブステッパー達に受入れられた結果が、現在のポスト・ダブステップと呼ばれる状況を形成したのだと考える事も出来るだろう。
そしてダブステップを名乗るのに、最早クロイドンやブリストルの承認を得る必要は無くなった。

当時クロイドンとデトロイトを繋いだこのオランダ人が、何時までも同じ場所に留まっていないという事をM1のチョップされたシンセとキックの連打が仰々しく告げている。
続いてデトロイト・テクノを更に遡ったエレクトロやUKファンキー調、アブストラクトなIDM調に聴き様によってはハード・ミニマルみたいな四つ打ちのトラックまでが展開され、その振れ幅は到底ダブステップの一言で集約出来るものではない。

本作に限らずスタイルの多様性や雑食性は、ポスト・ダブステップの文脈で取沙汰される作品の多くに共通する傾向であるが、エレクトロニカというプログレ化の極点を経て、リズム・パターンやBPMや音色の微細な差異による縄張り争いが陳腐化した後に、それでもエレクトロニック・ダンス・ミュージックに留まり続けた多様なバックグラウンドを持つ作り手達の拠所として、ダブステップの、特にリズム上の自由さが機能したのではないだろうか。

結果現出した、まるで過去20年のエレクトロニック・ミュージックの坩堝の様な現況は、例えポスト・ダブステップという言葉に如何に実体が無いとしても、久々に刺激的なものではある。