Panda Bear / Tomboy

Panda Bearのソング・ライティング能力とその突出したパーソナリティを持った声が、Animal Collectiveがポップ・フィールドで現在の地位を獲得する上で最大の武器となった事は間違い無い。
本作ではAnimal Collectiveのどの作品にも増して、その声が前面に押し出されているが、それが更なるポピュラリティを企図したものだとは今一つ思えない。

そもそもポップスを標榜したにしては歌の音量が過剰で、その他の要素との関係が余りにアンバランスだ。
エコーで増幅された声が全面を覆い尽くし、他の音が遥か彼方から聴こえてくるようで、まるでMy Bloody Valentineにおけるフィードバック・ギターと歌の関係を逆転させたようでもある。

声によるウォール・オブ・サウンド、その壁の向こう側では密かに様々な音が鳴っている。
単音を聴けば恐らく実に珍妙であろうそれらの音々は、声というフィルターを透す事で不可分に溶け合い融和している。

このサウンドにおけるノイズは最早ノイズではない。
試しに本作を聴きながら外を歩いてみれば、忽ちイヤフォン越しに聴こえるあらゆる具象音は一様にこのサウンドの一部と化す。
それはまるで「環境」がPanda Bearの声に呑み込まれてゆくような感覚で、全ての音を音楽に回収するブラックホールのよう。