Stephen Malkmus And The Jicks / Mirror Traffic

2008年のフジロックStephen Malkmusのライヴを一緒に観ていた人は、ステージ終了後、実に怪訝そうな表情をして、「何かこの人(演奏)下手じゃない…?」と呟いた。
それから2年後のサマーソニックに出演したPavementの演奏は、Stephen Malkmusのソロよりは遥かに適当でトラッシーで、戦略性はさて置いて確かに「下手」だった。

Pavementのイメージに頭が支配された自分のような人間には、Stephen Malkmusの音楽に対して演奏力を云々する発想自体が実に意外で、Pavementを通過していない人の耳にはソロになって尚Stephen Malkmusの音楽が、そのような正に「ローファイ」そのものの印象を与え得るのだ、という事実が非常に興味深かった。

先述の2回のライヴを較べてみても、また本作を含むソロワーク以降/以前(恐らく正確には「Terror Twilight」以降/以前)の作品を聴き較べても、演奏や歌唱の破綻をある種の売りにするような傾向は薄れているのは確かで、にも拘らずその人の反応には、Stephen Malkmusの作り出すサウンドのイディオムの何処かに未だ「ローファイ」の真髄のようなものが隠されている可能性を示唆しているようにも思えた。

そのような事を思い出しながら本作を聴いていると、Pavementとソロワークの積集合である極めて独創的なギタープレイにこそその根幹があるようにも思えてくる。
歌の旋律をなぞるギターの単音は、まるでギターを持ちたての未だコードも押さえられない子供が歌メロをたどたどしく鳴らす時のような、ある種の稚拙さを想起させるのかも知れず、それを殆ど技法の域まで体系化し得た(或いは他に誰もやろうと思わなかった)という点において、唯一無二の存在としてStephen Malkmusを再認識する。

如何にもBeckらしいスライド・ギターやハーモニカやオルガン等々のアレンジメントも、その強固な作家性を変容させるまでには到っておらず、と言うよりもその世界観を邪魔しない程度に慎ましやかでエゴが薄く、立て続くそのプロデュース・ワークの中では今のところ最も好感が持てる。