Sly Mongoose / Wrong Colors

Phewは「自分の無意識からはろくなものは出てこない」と言っていたが、それはDerek Baileyに端を発する即興に於けるイディオマティック/非イディオマティックの議論の根幹を成す発想であるように思える。
即興演奏の現場に於ける無意識は殆どの場合、その主体の聴取経験に規定されているが故に、その積み重ねとして立ち現われる音楽は、在り来たりで何所かで聴いた事のあるようなものになりがちで、それはジャムバンドと呼ばれる形態で生み出される音楽の多くにも当て嵌める事が可能だろう。

Sly Mongooseのような楽器構成の大所帯のインストバンドに対しては、実態がどうかはさて置いて、どうしてもジャム・セッションから曲を組み立てていく姿を想像してしまいがちだが、その音楽は無意識が生む凡庸さから作品を追う毎にかけ離れ、恐らくは意識的にどんどんオルタナティヴなものになっていく印象がある。

その萌芽が明確に表れたのは前作「Mystic Daddy」からだが、その入口に配置された「Schizophrenic Debater」の強靭なグルーヴによって、それ以前の作品からのソフト・ランディングを果たしていたのに対して、本作は宛らスピリチュアル・ジャズめいた幽玄なノンビートのナンバーで始まる。
続くM2はアフロビートのようなイントロで始まるが、こちらが(それこそ無意識に)期待するような展開は一向に訪れない。
ベースラインをなぞるようなギターやホーンのフレーズは表拍ばかりを強調し、グルーヴィという形容詞からは程遠く、寧ろ何処か間の抜けた印象すら与える。
「Snakes And Ladder」のピアノリフのような高揚は一切無く、不安定で奇怪な和音が終始不安感を煽る。
M6の8ビートを除いて、どの曲もクライマックスを迎えないままあっさりと終わり、後には容易に咀嚼出来ない強烈な違和感だけが残る。

それはリズムに於いてもメロディや音色の組合せに於いても如何なる整合性からも頑なに距離を置いたような音楽で、一見極々普通のジャケットの、良く良く見ると有り得ない配色を眺めている内に、何とも示唆的なタイトルだったかと腑に落ちるものがあった。