Lee Ranaldo / Between The Times And The Tides

このタイミングでLee Ranaldoがキャリア初となるソロ作品をリリースしたのには、Sonic Youthが本当に歩みを止めたのだという事を否が応でも実感させられるようで複雑な心境でもあるが、M1等は背景で薄ら聴こえるエレクトロニクスを無視すれば「Goo」辺りに収められていたとしても不自然ではない。
けれども全編を通じて重要な役割を果たしているオルガンやストリングス、スライドギター等の音色は、本作がSonic Youthの代用品では(あり得)ない事を示している。

M2の実直なメロディやM7の疾走感なんかはSonic Youthと言うより初期のR.E.M.のようで、Thurston MooreとKim Gordonのヴォーカルと交互に聴いている時には気付かなかったが、改めて聴くLee Ranaldoの歌声は少しボトムを軽くしたMichale Stipeのようにも聴こえる。
それはつまりMichale Stipeの弁を借りれば、人を容易に感涙させる事の出来る資質を持った声というやつで、確かにSonic Youthの作品に於いてLee Ranaldoがリード・ヴォーカルを務める曲、例えば「Daydream Nation」の「Eric's Trip」や「Dirty」の「Wish Fulfillment」、「Murray Street」の「Karen Revisited」等は、そのキャッチーでエモーショナルなポップネスを以て、一種の清涼剤的な安心感を与えてきたのだった。

面白いと思うのはLee RanaldoにしてもThurston Mooreにしても、ソロ名義となると途端に古典的と言っても良いソング・ライティングに向かう点で、普通ソロ・ワークと言うとバンドでは出来ない事の実践の場となるケースが多いと思うのだが、Sonic Youthの場合はそれが本体よりも比較的オーソドックスなロック/ポップ・ミュージックとなるのが、改めてSonic Youthというバンドの特異性を顕にするようで興味深い。

Kim Gordonが「Goo」や「Dirty」を気に入っていないというのは有名な話だが、そのプレッシャーというのはそれ程強いものなのだろうか。
だとすれば仮にKim Gordon抜きでSonic Youthが再始動するような事があれば、これまでになくポップな作品が聴けるかも知れないが、果たしてそれが自分の聴きたいSonic Youthなのかどうか、今は未だ良く判らない。