Tune-Yards / Whokill

ずっと気になり続けていたにも拘わらず機会を逸して聴き逃していた本作は、もっと早くに手を出していれば良かったと激しく後悔する程、非の打ち所の無い完璧なポップ・アルバムだったが、その良さを言葉にするのは何せ良くない所が無さ過ぎるのだから意外に難しい。

洗練と野蛮を変幻自在に行き来する独創的なヴォーカルやファンキーなベース・ラインにパーカッシヴなビート、多彩な音色が混濁する事無く多層的・有機的に絡み合う様は、まるでそれぞれに意志を持った楽器達の自由奔放な歌が形成するポリフォニーを聴いているようだ。
リズミカルでフックだらけのメロディ・ラインは素晴らしいが、決してポップなだけでなく、巧みに織り込まれる不協和音や物音からは旺盛な実験精神も感じられ、M5の演奏が瓦解する様は宛らフリー・ジャズのようでもある。
全編を通じて音を鳴らす事に対する喜びが横溢していて、冗談抜きで子供の情操教育に打って付けだと思うものの、チャイルディッシュなイメージに付き纏いがちな適当さとは無縁で、むしろ細部まで練り込まれたプロダクションには(単なる想像でしかないが)、正統な音楽教育の素養を感じさせるという意味でのインテリジェンスが迸っている。

ベースが曲の基軸を担う点や、プロダクションの上でコーラスが単に歌を補強する以上の重要な役割を果たしている点はDirty Projectorsにも通じるもので、そう言えばソウルフルなヴォーカルにはDave Longstrethのそれを彷彿とさせる所もある。
ダブ的とさえ表現出来そうな各種エフェクトやエレクトロニクスの使用は効果的だが、決してそれに依存した感じは皆無で、ソング・ライティングそのものが持つ力を感じさせる。
インディ・ミュージックにとってもエフェクトを多用した音響操作やソフトウェアによるポスト・プロダクションは、最早とうに自明の事で今更切り離しようも無いが、仮にそのようなテクノロジーが無かったとしても充分に聴き応えがあるであろうと思わせる作品というのは、このインディ・ロック全盛の現在に於いても意外に少なく、Dirty Projectorsや本作はその例外の最たるものに思える。

殊更に生音を特別視する気は毛頭無いし、ライヴ至上主義みたいなものには嫌悪感すら覚えるが、過剰なリヴァーブやディレイが少々食傷気味に感じられ始めた今日この頃だからこそこのサウンドは余計に魅力的に感じられる。