Aphex Twin / Syro

再生ボタンを押したと同時に耳に飛び込むバウンシーなビートにアシッディなベースライン、奇怪に変調されたヴォーカルには、遂に「Windowlicker」の次が開けた感覚がある。

全編を通じて背景を浮遊するシンセには確かに「Selected Ambient Works」を想起させるアンビエンスがあるし、チャイルディッシュなイントロで幕を開けるM10ではドリルンベースさえもが復活しており、「Richard D. James Album」に収められていたとしても違和感は無い(続くM11がむしろSquarepusher以上にSquarepusherらしいのはご愛嬌か)。

珍しく4/4のキックにウォブリーな中音域と手数の多いスネアが絡む、聴きようによってはAFX流のUKベース・ミュージック解釈にも取れなくはないM5だけが、これまでのAphex Twinのどのトラックにも似ていないという意味で新機軸だが、その他はそのキャリアを俯瞰するような内容で、やはりセルフ・パロディのようだった「Drukqs」はどう考えても蛇足だったとしか。

とは言え単純に捨象された訳ではなく、M6の痙攣するような高速ブレイクビーツや最終曲のセンチメンタルなピアノの旋律は、確かに「Drukqs」との連続性を感じさせるが、やけくそなやっつけ感の無い、丁寧に作り込まれた感があり、沈鬱なメロディとは打って変わって、憑き物が取れたかのようにスラップスティックなユーモアも復活している。
まさかRichard D. Jamesに限って考えたくはないが、子供が産まれた影響を訝ってしまうほどにある種の成熟を感じさせる内容で、10余年の不在を思うとそれはちょっと感動的でもある。