AFX / Orphaned Deejay Selek 2006-2008

Aphex Twin名義に較べ派手な展開は少なく上モノは簡素。
主旋律への拘りは希薄で、リズムに焦点を当てた習作の性格が色濃い。
背景は余白だらけで、大半のトラックが終盤に差し掛かって申し訳程度の上モノが被さってくる点で共通している。

M4やM8の装飾の一切無い変則的なビートは宛ら建築途中で放棄された建物のような不条理さを醸し出しており、日夜ベッドルームで生み出されるビートをフィルターを通さずコンパイルした作品といった印象を受ける。
そのシンプリシティは逆説的に「Syro」に注がれた商業音楽家としてのRichard D. Jamesの誠実さを炙り出してもいる。

目新しさこそ無いが骨組だけのスリムな構造だからこそRichard D. Jamesの創り出すビートの強度が一層引き立っていて、聴いた瞬間にRichard D. Jamesのそれと判るM1〜M3のアシッディでバウンシーなベースラインや、M6の疾走するドラムンベースには静かな興奮を禁じ得ない。

ある時期以降のAphex Twinが強烈なSquarepusherの影響下にあったとすれば、AFX名義はLuke Vibertにも通じるアシッド愛に溢れている。
分裂気味だった初期のAphex Twinのスタイルの内、「Digeridoo」のハードコア/テクノはCawstic Window/Polygon Windowに引き継がれ、「Selected Ambient Works」に代表されるリスニング志向を継承したのがAphex Twin名義だったとすれば、AFX名義はその内の「Green Calx」等のトラックに散見されたアシッド・ハウス路線を集約する名義だったと言えるかも知れない。
そして「Syro」における多様性は、再びAphex Twinの名の下に分散したスタイルを統合しようとする試みであったのではないかとも思えてくる。