Dinosaur Jr / Give A Glimpse Of What Yer Not


M1の快活なギター・カッティングやドラムの疾走感は聴きようによってはまるでFoo Fightersのようではないか。
音響はクリアに整頓され、J Mascisのヴォーカルもいつになく安定しており、プロダクション全体に何処となくメジャー感が漂っている。
Murph曰く「ポップでラジオ・フレンドリー」とは全くその通りで、強いて挙げるなら「Green Mind」通じるものを感じる。

中期以降の作品に必ず1曲は含まれていた、下手にスロウだったりアコースティックな音色に終始する曲は殆ど無く、キーボードの音量も控え目で、唯一スロウにスタートするM9は中盤でアルバム中最もラウドなストロークを伴ってファストにシフトチェンジする。
再結成以降(ひょっとする「Green Mind」以降)最もストレートに勢いを感じさせる一枚かも知れない。

相変わらずギターソロは鬱陶しいくらいに弾きまくっているし、メロディやコード進行、曲構成や音色、展開に至るまで何ら抜本的な変化は無い。
そのある種伝統芸能的な普遍性は今に始まった話ではなく、Lou Barlowがバンドを脱退して、J Mascisがほぼ1人で制作を行うようになった「Green Mind」以降、ソロも含めて基本的にワンアイデアを貫き通してきたJ Mascisに今更変化を期待する気など毛頭無いが、流石にここまで何も変わらないと褒めようも貶しようもない。

再結成してからのDinosaur Jrでも基本的にはJ Mascisがクリエイティヴ・コントロールを握っているのは、Lou BarlowとMurphがそれを許容出来るだけ成熟した事の顕れであるだろう。
逆にLou Barlowがメインの曲が2曲も収録されているのはJ Mascisもまた然りという事なのだろうか。
ともあれまるきりSebadohなその2曲で聴く事が出来る掠れ、声量の衰えたLou Barlowのソフトなヴォーカル(何処となくSunny Day Real Estateを彷彿とさせる)は、老成が新たな魅力を産む事もあるという好例と言って良い。