Factory Floor / 25 25

30年前から殆ど変わらないであろうアシッディなベースラインやクラップ、カウベル等のドラムマシンが発する音の数々からは相変わらず進化や未来に対する徹底的に醒めたヴィジョンが伝わってくる。
但し二ヒリスティックな彼等であっても前作と同じような作品は作れないというポップ・ミュージック特有のオブセッションから自由にはなれないようだ。

エコーが掛かったヴォーカルは健在だが、前作での害の無い感じからは一変して展開に乏しいトラックの上を目的も無く這いずり回り、得体の知れない異物感を放っており、その存在はお世辞にも機能的とは言い難く、寧ろ積極的にグルーヴにブレーキを掛けている。
M7のユーモラスなベースラインやM10の脈絡無く上擦り蛇行するシンセ音にはドライで尖ったイメージに反した愛嬌や諧謔が感じられ、少々エキセントリックさを増したという点ではよりポストパンクらしくなったと言えるかも知れない。

一方でハイハットに顕著だった人力ドラミングの要素は目立たなくなり、ビートはよりマシニックでミニマルになった。
リズムのヴァリエーションは僅少で、前作にもアンチ・クライマックス的な印象はあったものの、本作に較べればまだダイナミズムや起伏があった。
前作の単調さは寧ろ頽廃的でクールにも感じられたものだったが、10分掛けてほぼ何も起こらないM10等は最早虚無的ですらあり、その空虚感ときたらAFXの比ではない。

M1ではリズムの焦点をずらすベースラインが騙し絵のような効果を生んでおり、その他にも一聴する限りでは単純な反復に聴こえるが、拍を微妙に変えてベースが配置されていたり、トラックの途中から再生する事でリズムのアクセントがスライドして、印象を一気に豹変させるような仕掛も散見されるが、Laurel Halo「Chance Of Rain」程の耳の快楽は無く、然程効果的ではない。
ある種の冗長さが単純な退行ではなく、明確な意図を持って選択された方向性であろう事は痛い程伝わってくるのだが、最後までやりたかった事の明瞭な形を掴む事は出来ず、何らかの実を結んでいるとは言い難い。