Eli Keszler / Stadium

f:id:mr870k:20190812001454j:plain

淡いアナログ・シンセやエレピと高速ドラミングにコントラバス等の音色の組み合わせがAtom HeartとBurnt FriedmanによるFlangerを思い起こさせる。
深遠で静謐なムードはWechsel Garlandを、特定のエモーションを忌避するようなメロディは竹村延和と言うよりChildiscの諸作、特に奔放なパーカッションがかのRei Harakamiをして天才と呼ばれた(はずの)SuppaMicroPamshoppを彷彿とさせ、それらを敢えて乱暴に一括りにするならば要するにエレクトロニカ時代のジャズ解釈という事になるだろう。
そのようなサウンドを志向するEli Keszlerが現代のエレクトロニカ・リヴァイバルとリンクする事はごく自然な成り行きで、Oneohtrix Point NeverやLaurel Haloとの関わりもすんなり腑に落ちる。
(尤もOPNのサウンドエレクトロニカとの繋がりを感じた事は唯の一度も無いが。)

やはりジャズを援用したLaurel Halo「Dust」がそうだったように比較的一定の明確なリズムが多いにも関わらず構造や展開は一貫してアブストラクトで、曲という単位を認識する事が困難で、何度聴いてもリズムやメロディが明確な形(フレーズと言い替えても良い)を持って記憶に定着する事はなく、ムード/印象の余韻のようなものだけが頭にこびり付く。
無調という訳ではないし、殊更不協和音で充満しているという事もないが、リズムやメロディの基礎となる反復は無く、旋律として認識出来る要素、或いはそれと認識出来る瞬間が欠如しているという意味でやはりAutechre「Anti EP」に端を発するエレクトロニカのコンセプトを想起させ、音量の小ささはロウワーケース・サウンドを連想させたりもする。
厳密にはどのエレメントもフレーズを繰り返しているという意味で確かに反復してはいるが、各々のタイムラインが全く異なる為に如何なるアンサンブルやシンコペーションも生じておらず、それぞれが等価に且つ無関係に鳴っているが故に、完全に中心が掛けて空洞化していると言った方が正しいだろうか。


M1の押し寄せる波やM7の雨の滴る音のようなフィールド・レコーディングは如何にもという感じだが、M3はどう聴いても日本のアイドル・ソングらしきBGMが背景になっており、インテリジェンス迸る中にも奇妙なユーモアを忍ばせている。
主役であるパーカッションの音色にも多様性があり、M5等のようにエキサイティングなドラミングや物音をカットアップ/エディットしたと思しきビートの一方でM8ではオールド・スクールなドラムマシンのタムのような音も聴こえたりして意外性もある。

アカデミックなムードは確かにあるが、殊更これ見よがしなアヴァンギャルド臭は無く、誤解を恐れず極端に言えばカフェ・ミュージックとしても通用しそうな耳に心地良いポップさがある。
ポップ・ミュージックとして成立しそうにない音の集積が噛み合う事のないまま何故か極めて豊潤な音楽的な何かを醸成する様は、丁度Sun Arawの音楽が全く音楽的に響かない事と対を成すようでもあり、派手さは無いがこれまた音楽のマジックの一つの形ではあるだろう。