Belle And Sebastian / A Bit Of Previous

こんなバンドだったっけ?というのが最初に抱いた感想。
ヴァイオリンを伴奏にしたM1の牧歌的なネオアコTeenage Fanclubにも通じるようなグラスゴーの伝統を感じさせるギター・ポップだが、M3は日本のグループ・サウンズのパロディみたいで不覚にも笑ってしまう。
煽情的なハーモニカが印象的なM7のパワー・ポップでロックンロールに目配せをしつつも、アルバム全編を通じて矢鱈と輪郭が明瞭なベースがファンク臭を漂わせており、M6はディスコ、大団円のM12はソウル・クラシックのような風格さえ感じさせる。

もっと内省的なサウンドのイメージがあったが非常にヴァラエティに富んでおり、例えばJapanese Breakfastと並べても遜色の無いポップのショーケース振りで、多彩なアナログ・シンセの音色を除けばインディ臭さはまるで無い。
強いて挙げればM5等は従来のイメージに近いが、M8はSteely Danを飛び越して日本のシティ・ポップ、と言うか具体的には山下達郎みたいだ。

そうするとスティール・ギターが印象的なM10は差し詰め大瀧詠一が妥当かなと思いつつ、実際にはそれを通り越して加山雄三がフラッシュバックして弱る。
正気に戻るとそのオールディーズ的な意匠はBobby Gillespie(やっぱりグラスゴー)とJehnny Bethのデュオ作品にも通じるし、M11のユーフォリックなロック・バラードは不安定な歌声とオルガンも手伝ってSpiritualizedを彷彿とさせたりもする。

90’sのインディ・ロックで活躍したベテラン達が挙ってポップでフレンドリーな表現に向かっているように思われるのを、経年と共に牙が抜かれて先鋭さが失われた結果として捉えるのは簡単だが、ネガティヴな印象が全く無いどころか寧ろ微笑ましくもあるのは、例え偶然だったとしてもテン年代以降のポップ・ミュージックの潮流である「インディの消失」という傾向とリンクしているように感じられる事によるものだろう。
まぁそれより何より聴き手である自分がアーティストと共に経年劣化して丸くなったというのが一番なのだろうけど。