Daphni / Cherry

自らプレイする為だけに作られた極めて機能的なトラック群は気持ち良い位に潔くフロアユース。
はっきり言って凄いと思わされるようなところは何も無い。
Dan Snaithであればこんなトラックなら大して時間も掛からず簡単に作れるだろう。
恐らく90年代以降のどの時代のフロアで鳴っていたとしてもおかしくないという意味で、如何なる時代性からも社会性からも切り離されているように感じられる。
同じようにフロアライクな2022年の作品であってもBeyoncé「Renaissance」とはその根本から全く異なっている。

メッセージ性も、Caribou名義に較べるとメロディの要素も希薄(と言ってもそこは基本メロウなDan Snaithだけあって充分にポップだが)で、音数も少なく構成や展開も極めてシンプルで、複雑な事は何もやっていない。
それでもこの何も背負っていない音楽が自分は只々無条件に好きだと言える。
もしかするとCaribouのどの作品よりも好きかも知れない。

商業的・芸術的な野心の欠片も無くトレンドとも無関係で、自己表現というオブセッションからも自由。
只々息をするように自然にアウトプットされたような作品だからこそ、本来音楽を作るにも聴くにも何らの特別な理由は要らないのだという事を思い出させてくれる。
勿論だからと言って誰でも自然とアウトプットすれば良いといった話ではなく、寧ろ何らアイデアもコンセプトも無しに作られた作品には聴くに耐えないものも(特にロック・ミュージックには)多い。
簡素でありながら一定の強度や説得力を伴った音楽が作れるのはほん一握りの才能で、その意味で過去のどの作品よりもDan Snaithのスキルやセンスの確かさを証明しているようにも思われる。

暗く重い時代だから仕方が無い部分はあると思うが、時折音楽よりもその音楽に付き纏う意味性が鬱陶しく感じられる時がある。
ウクライナ侵攻のニュースに気を滅入らせながらも、幸運な事にその当事者ではない私達は普通に仕事をして食事を摂り他愛の無い話をして眠る。
本作はエスケーピズムとしてではなく、そんな人間の生活の一部として音楽があることを肯定してくれているようでもある。