Speakers Corner Quartet / Further Out Than The Edge

Joe Armon-JonesやShabaka Hutchingsの参加からEzra CollectiveやSons Of Kemetのようなサウス・ロンドン・ジャズを想像していたが、両者のようなダンス・ミュージックとしての機能性は希薄。
強靭なリズム隊が生み出すビートには、M1のハウスやM11のダブステップのハーフ・ステップのようなものもあるが、大半はブーンバップ的でどちらかと言えばヒップホップ/R&B寄りと言えるものの、Makaya McCravenやKamasi Washingtonの一部の楽曲のようなスピリチュアル・ジャズ路線とも様子が違う。

更に言えば狭義のジャズの一言で済ますのが憚られるファジーさがあるのは、多くの曲でヴォーカルをフィーチャーしているせいもあるだろうし、ベースとドラムの他にはフルートとヴァイオリンという、一般的なジャズからすると周縁的な楽器で構成されたカルテッドという成り立ちに起因するところもあるかも知れない。

ヴァイオリンの音色は確かにこのバンドのシグネチャ的役割を担っているが、背景的な演奏に終始している印象で、フルートに至っては殆ど存在感が無い。
一言で言えばリード楽器の不在が顕著で、ゲストのヴォーカルやラップ、スポークン・ワードがその空白を埋めている。
その結果Tirzahが歌う曲は余りにTirzahだし、Samphaが歌う曲はごく自然にSamphaの楽曲として聴こえる。

Ezra CollectiveやSons Of Kemetと較べても各楽曲のソロ演奏は少なく、更にエレクトロニクスやノイズと呼んでも良いような装飾音にも一定の存在感があり、演奏という行為やプレイヤビリティに固執する様子は一切無い。
形態としてはジャズ・カルテッドでありながら、ここまでパフォーマーのエゴが希薄なのも珍しく、実に興味深いバンドではある。