James Blake / The Colour In Anything

オープニング・トラックの中盤に現れる不安定に揺らぎながら上昇する倍音を多く含んだ独特のシンセ音の鮮烈さから、「Sparing The Horse」「Unluck」を聴いた際と同質の興奮が呼び起こされる。
志は高いが巧く像を結ばず、結果散漫で混迷を感じさせた前作の経験を経て、明確に自らのストロング・ポイントを見定め、焦点を絞ってきた印象を受ける。

声へのフィルター/エフェクトはここぞという場面以外では最小限に抑制される事で効果を増し、前述の代名詞とも言えるシンセ・サウンドと共に巧みにフックを形成している。
最早唯一彼の出自を想起させるダブステップ由来の重厚なサブベースは、一切の迷いなく位相の中央に配置され、前作の迷走を象徴していた4つ打ちの導入も本作では見事に成功を収めている。

M6のデジタル加工されたチェンバロのような音色、M7等に於ける意外なほどのストレートさが却って新鮮な印象を与えるシンフォニックなシーケンスやM14の不協和音等、上モノのヴァリエーションもぐっと拡張されている。
CMJK」を思い出させる変調されたヴォーカル・チョップも復活し、M15のローパス・フィルターを通したようなドラム・サウンド等のビートを構成する要素の幅も拡がり、稀代のサウンド・エンジニアの才能が余すところ無く発揮されている。

ソング・ライティングに於いても最早メランコリック一辺倒ではなく、メジャーコードによる勇壮なメロディやユーフォリアまでもが導入され、ポップソングとしての完成度を格段に向上させている。
これだけ佳曲だらけだと全てを詰め込みたくなる衝動も理解は出来るものの、トータリティの面からすると長過ぎて、抑揚にも乏しく流石に集中力が続かない(この辺りはKendrick LamarやBeyoncéのストーリーテリングや構成力を見習うべきだろう)。
とは言えビートメイカーとしての匿名性とシンガーソングライターの自己顕示欲の狭間でどっちつかずに揺れ動いていた前作からすると、プロフェッショナルとして著しい成長を遂げていて、このモダン・ソウルがBeyoncéやFrank Oceanの作品を通じてアメリカのメインストリームに影響を及ぼすのかと思うと、期待に胸は膨らむばかり。