Atlas Sound / Parallax

先ずBradford Coxのヴォーカルの飛躍振りが益々凄い事になっている。
相変わらず怠惰な事この上無いが、妙に艶っぽく色気さえ漂う歌声は、丁度グラム・ロックをパロディにしたジャケットと呼応しているようでもある。

過剰な残響処理によって歌と演奏が不可分に混濁していた「Logos」の音像に対して、本作ではストロング・ポイントを強調するかのように歌をより明瞭に前面に押し出すミキシングが施されている。
ピアノやオルガンやハーモニカといった器楽音の多彩さも相俟って、より洗練を纏った印象を受けもすると同時に、相変わらずやる気が感じられないソング・ライティングや、愈々細に入った執拗なエフェクトや、多様なシーケンス/ノイズには、「ソング・オリエンテッド」というような形容詞から凡そ掛け離れた感覚もあり、M8やM11の後半に於ける延々と残響と戯れているようなアブストラクトな音響からは、歌や演奏が単に残響を生み出す為のプロローグに過ぎないのではないか、と言った妄想すら想起されられたりもする。

10年前の日本だったらこの手のサウンドは「うたもの」だとか「音響系」といったタームで括られていたのだろうけれども、Bradford Coxの作る音楽に戦略性や敢えて歌を選択した感は希薄で、歌もノイズもリヴァーブも予め自明の事のように存在しているようだ。

それはテクノやインスト・ヒップホップの台頭と共にポップ・ミュージックに於いて歌が相対化される様を目の当たりにしたが故に、歌がオルタナティヴな表現足り得た世代からすると到底理解出来ない感覚ではあるけれど、Rustieと言い、OPNと言い、Emeraldsと言い、理解出来ないが故の音楽の面白さを心底実感する今日この頃でもある。