坂本 慎太郎 / How To Live With A Phantom

Ariel Pinkを筆頭に80'sのAORの要素は今日のインディ・ロックに顕著なトレンドの一つだが、それは随分と以前からゆらゆら帝国の音楽の、例えばムード歌謡めいた空虚な女声コーラスや、サックスの音色等に散見出来たものでもある。
「空洞です」に於いて最後に収められたタイトル曲がアルバム全体の異物感を助長していたように、或いは2003年の「ゆらゆら帝国のめまい」が、対となった「しびれ」のフリークネスを照らし出していたように、概ね坂本慎太郎AOR/歌謡曲趣味はゆらゆら帝国の特異性に寄与してきたように思う。

ソロになって初となる本作で、坂本慎太郎はそのポップス嗜好を前面に押し出しているが、ここにはそれこそ古くからのファンが期待しそうなファズ・ギターも無ければ、AOR風とは言っても「時間」みたいな醒めた毒のあるユーモアも殆ど無く(例外的にM5には流石に笑ったが)、邪気の無い洗練されたポップスが全編に展開されている、という意味ではまるで「しびれ」の無い「めまい」とでも言えそうだ。

抑制の利いた丁寧な演奏とシンプルだが豊潤なアレンジメントがクリアな音響を以て紡がれ、それに聴く者の思考を攪乱するような異物感は一切無く、冗談抜きでBGMとして聴き流せるという点で、坂本慎太郎の狙いが見事に具現化されていると言えるだろう。
本人によるタイトでジャストなベース(その巧みさは近作で同じように自身でベースを弾く山本精一の辿々しさとは比較にならない)は、ある種のブルーアイド・ソウル風の洗練されたファンクネスを醸し出していて、その声質も手伝って山下達郎なんていう名前まで連想する始末。

Jポップの文脈で取り沙汰されても不思議ではないという意味では、坂本慎太郎のキャリアに於いて最もフレンドリー、と言うか少なくとも聴き手を選ばない作品であるのは確かだが、セルアウトやある種の老成といったイメージからは遠く、逆に何故かよりオルタナティヴな存在感を強めていくような感さえあり、00年代の日本を代表するロック・バンドのフロントマンのソロ・デビュー作としては、「空洞です」の続きや安易なロックンロール回帰や、はたまたミニマル・テクノへの鞍替えなんかよりも、余程正しい選択であるように思える。
静かなる、けれども偉大な第一歩。