Flying Lotus / Until The Quiet Comes

全編を通じてタイトル通りのレイドバックしたムードが横溢していて、「Cosmogramma」の圧倒的な混沌や熱狂はここには無い。
四方八方に飛散する粒子のような目の粗い音像や、ズレを内包した有機的にシンコペートするリズムに音の位相の最前列で耳を刺激するハイハット、そして最早血肉化した感のあるThundercatのスラップ・ベース等の唯一無二のイディオムは健在だか、ハープやピアノ等の生楽器の音色に取って付けたような感覚は皆無で、前作の時点で既に充分混濁して感じられたヒップホップやジャズ、ブラジル音楽やクラシック等の要素は最早個々に認識出来ない程に融解していて、不思議とエクレクティックな感覚は全く無い。

ファジーな音像に於いてもリズムに於いても耳の焦点を絞る事の困難性からは、Daedelus「Bespoke」に通じる前衛性を感じる一方で、一音の鮮烈さやフリーキーな展開は減退し、揺蕩うような心地良いサイケデリアが全編を覆っていて、良く言えばリラックスして聴けるし悪く言えば聴き流す事も出来る。

SlugabedやLornやThe Gaslamp Killer等、2012年は所謂「Flying Lotus以降」のビートに分類出来るリリースが相次いだが、それでもやはりFlying Lotusのビートがそれらに較べて一歩も二歩も特別に感じられるのは、先述した強固なイディオムの他にもメロディという極々オーセンティックな要素に依拠する部分が多分にあるのではないか。

簡単には認めたくない事ではあるがそのある種の正統的な音楽の才能からは、やはりSteven Ellisonに流れる血統について想起せずにはおられず、DNAの優秀性や天賦の才なんていう無根拠なものを信じる気には到底なれないが、少なくとも家庭環境が音楽に与える重要性というのは、Tyondai Braxton然り小沢健二然り決して無視出来るものではないと思う。