Kendrick Lamar / To Pimp A Butterfly

Sly & The Family Stoneをもじった「Every Niggar Is A Star」に続くJames Brownの掛け声を合図に、George Clintonに導かれて放たれるThundercatのベースとFlying Lotusのビートで幕を開けるアルバムは、宛ら黒人音楽の歴史を総括するようである。

全編を通じて基調を成すビバップからスピリチュアルまで幅広いジャズのイディオムの他、Soulqualiansを連想させるネオ・ソウルの残滓は其処彼処に注がれ、M8ではSa-Raに通じなくもないコズミック・ソウルが展開される。
M3ではDr.DreやSnoop Dogの関与を持ち出すまでもないとばかりに自身をGファンクの系譜に位置付けたかと思えば、The Isley BrothersをサンプリングしたM15ではカッティング・ギターと女声コーラスによってGの付かないファンクが導入される様は、まるでジャズからソウル、ファンクからヒップホップ、R&Bに到る黒人音楽の進化の先端に自身が居る事をレペゼンしているようでもある。

Mos Defを想起させる変幻自在の声色や息遣いを駆使したエキセントリックなラップは勿論、ハードバップに乗せて自身の陰部を誇示するスキャットや奇声混じりに語気荒く放たれるアジテーション、ポエトリー・リーディングに果ては2Pacとの会話まで、ラッパーとしての引出は実に多彩で、口角泡を飛ばすエキサイティングなラップを基調に、「The Love Movement」のQ-Tipを思わせるメロウネスを聴かせたかと思えば、喪黒福造宜しくフリーキーな声色で戯けてみせたりとエモーションの幅も広く、声を主役に据えた作品であるのは疑いようがない。

インタールードと銘打たれたトラックも息吐く暇が無い程に濃密で、多彩なゲストや繰り返されるワンフレーズ等コンセプチュアルで大作然としているが、「Yeezus」のような嫌味が無いのは派手な演出に関わらず結局のところ他のラッパーの客演も殆ど抜きで、自身の声帯のみで勝負をしようというこの若き西海岸の新たなキングの気概に依るものか。